日本人というのは、なぜ体裁とか外形みたいのにこだわりがちなのでしょうかたとえば…・定時でも上の人より先に帰ってはならず、それを見越したペースで仕事をする・「読書百遍」のような言葉があるとおり理論軽視で、反復で道が拓ける考え方・我が子が不登校でないことに異常にこだわる(それは教育上の懸念というより世間体と恥という要素が割合の大半だと思われる成績とかどうでもいいから「学校に行っている」という事実が重要)・親も子ども自身も学歴に異常にこだわる・田舎とかだと結婚していないだけで変な人とか恥ずかしい人として扱われる(ゆえにそう思われたくないためだけに結婚する人が実際にいる)いろんなあらゆるケースにおいて、体裁や外形みたいなものにこだわるようなところがあると思います結果的に内実とか本質が疎かにされがちですこういうのはどこからきているのでしょうか?またこのようなことについて語られている書籍があったら教えてほしいです

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1188712

2026-03-04 09:50

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「日本人というのは、なぜ体裁とか外形みたいのにこだわりがちなのでしょうか」



日本人論になるから、例えばルース・ベネディクトの「菊と刀」や土居健郎の「甘えの構造」なんかを読むと参考になると思うよ。「恥」とか「甘え」とかキーワードになる。



俺が面白いと思ったのは日本でのユング学派の大御所、河合隼雄の「父性原理・母性原理」の考え方だ。

河合隼雄はこれを男女の性差ではなく「心の働きの原理」として定義している。



父性原理というのは西洋キリスト教社会で重視されてきた原理だ。

まず原理があり、ルールや法がそれに則って作られ評価され言語化されていく。

そこでは本質や内実や論理に向かう力が重要で、「なぜか」「それは正しいか」が重視される。



母性原理は日本で重視されてきた原理だ。

母親のように受容し包摂し、関係や場の雰囲気がよくすることが重視される。

同調することで安心を得る。

不安にならないためには「そこにいるか」「外れていないか」が常につきまとう。

いわば外形や体裁が重視されて、それが所属に向かう力になるわけ。

母性原理が過剰に強いと「正しいか」「能力があるか」なんかよりも、「場に含まれているか」「流れを乱していないか」「型から外れていないか」が重視されてしまうという・・・。



不登校の例で言うと、親が「道から外れる」と思ってしまうのはこういう心性の働きなんだな。

だから河合のカウンセリングでは「学校に行けた」ことで解決としない。

本人の内面が置き去りのまま型に押し戻されるだけだから。

むしろ内面がどう変化したかが大事だと言っている。



著書としては「母性社会日本の病理」あたりがいいかな。

河合隼雄の本はたくさん出てるからレビューを参考にしてみたらいい。

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