赤穂浪士吉良上野介ですが、多少なり討ち入りの可能性の噂は耳に入っていたはずなのに、悠々と茶会を開いて要るとは赤穂浪士達を舐めていると思いませんか?因みに、森繁久弥が演じた吉良上野介は最悪。中村吉右衛門が演じた、浅野内匠頭は最高です!

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1016491

2026-02-13 15:55

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江戸時代、特に綱吉の治世下の江戸城内で壮絶な事件が3件起きました。1684年に大老堀田正俊が若年寄の稲葉正休に執務中刺殺、1701年には松の廊下事件、そして1709年の綱吉葬儀の際、同じ饗応役どうしの織田秀親が、前田利昌に刺殺された事件です。いずれも上役で年長の者が、若い下役に殺されたのは共通ですが、松の廊下だけ襲われた方が生き残ったのです。(つまり遺恨を晴らしてない)。

特に1709年の事件は松の廊下と全く同じ背景ですが、松の廊下の反省を踏まえ、勅使の饗応に高家が関与しなくなった時期のものです。これをみても幕府ですら高家のありかたに問題を感じてたということだし、高家を外しても饗応役のような仕事は問題が多かったという証拠でしょう。

世間にはへそ曲がりが必ずいて、「吉良は悪くない、浅野の乱心が全てだ」と言い張る人がいますが、世間も、幕府ですらも、そうは思ってなかったということです。

もう一つ松の廊下で特筆すべきことは、他の2件に比べ、役目上の地位と武家としての石高(つまり本業としての格)が逆転してるケースです。稲葉も前田も、殺した堀田や織田より全然小禄の小大名だった。遺恨も晴らしたし、相手は圧倒的に上位の家柄。家臣が報復するなどありえないケースです。

しかし、

浅野は吉良の十倍以上の石高で、始祖の長政は武勲の誉れ高い武将。広島42万石の始祖はこの長政の長男。むしろ赤穂の浅野の方が本家筋ともいえる家柄です。いったん江戸城を出たらこっちの方がずっと上、という意識が強かったはずだし、幕府や大名の中にもそう感じるものが多かったと思います。

これらが相まって吉良邸討ち入りが実行された。吉良も危険を感じていたからこそ用心棒を沢山雇い入れていたが、江戸城を離れればただの旗本。それ以上のことはできなかったということでしょう。油断や慢心というより、あれが限界だったということだと思います。(武家の防衛は自己責任)

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