鹿児島県は廃仏毀釈によって多数の寺院が破壊されたと聞きますなぜ、鹿児島県は廃仏毀釈が激しかったのですか?また、西郷隆盛や維新の指導部、島津家の人らは廃仏毀釈を止めなかったのですか?

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1209374

2026-04-11 13:00

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鹿児島県(薩摩藩)で廃仏毀釈が激しかった理由は以下の通りです。

・江戸時代から薩摩藩は神道を重視し、仏教を軽視する傾向がありました。島津氏は神道を藩の精神的支柱としていました。
・明治2年(1869年)、藩知事となった島津忠義の下で、廃仏毀釈令が出され、藩内の寺院1,066か所がほぼ全廃されました。
・薩摩藩は財政難であり、寺院の土地や財産を没収することで財政再建を図る意図もありました。
・神道国教化政策を率先して実行することで、新政府への忠誠を示す狙いもあったと考えられます。

西郷隆盛や維新指導部について:
・西郷隆盛は明治2年当時、中央政府で活動しており、藩の政策に直接関与していませんでした。
・島津久光ら藩の実権者が主導したため、中央にいた薩摩出身者も介入しにくい状況でした。
・当時の新政府全体が神道国教化を推進していたため、薩摩藩の政策を止める動機が弱かったと考えられます。

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