過去推量の意味をわざわざ強めるということは、解釈として考えにくい。
「なむ」などの強意+推量の場合、その推量は未来予測だ。予測を強めるというのは普通に理解できる。口語でも「きっと・・・だろう。」というのは自然な表現だ。過去推量が使われるのは、過去のはっきりとはわからないことを述べる場合だから、それを強めたりすることは、普通はない。強く言う場合には、「べし」「まじ」を使っただろう。
典型的な「にけん」は、たとえば次のような用例だ。
【果報や尽きにけん、山王大師の神罰、冥罰をたちどころに蒙つて、かかる憂き目にあへりけり。】(平家1)
「果報が尽き」たかどうかは、人にはわからない。非常に不確かな推量だ。こんなのを強めるわけがない。
【左衛門佐、これを聞きて、父をや恨みにけん、世を憂しとや思ひけん、ひそかに出家して、いづちともなく迷ひ出でにけり。】(太平記37)
この用例も、過去の人物の行動の動機中を語り手が推測している。推測だから、強く述べる意図はない。二つの動機を並列させて述べており、前者が「にけん」という形だが、「けん」だけの後者よりもその推測が強いと読むのは不自然だ。強い推測ならば、他の推測と並べて述べる理由がない。