江戸開城で勝海舟と西郷隆盛が2人で話し合いいろいろ決定したようですが、天皇の元、合議制に進もうとしている時に、2人だけは本当でしょうか?他の人から反対などなかったんですか?その頃は、その他の重役たちは何をしていましたか?

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1231136

2026-02-02 03:10

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磯田道文さんの「素顔の西郷隆盛」によれば(2018年発行)



3月15日に決していた江戸城総攻撃の前

慶喜公の使者である山岡鉄舟による談判を受け

徳川家6箇条の処分を西郷がその場で独断で決定し

駿府の有栖川宮に報告したとあります …………



また

勝海舟と西郷隆盛は正式な江戸開城の前の13日に

薩摩藩蔵屋敷で面会しますが、この場には西郷の側近はいましたが

新政府の重要人物は京都にいました



その翌日の14日

薩摩藩邸で勝海舟は正式な哀訴状(降伏状)を示し

西郷はそれを受領し、駿府に早駕籠で向かい有栖川宮に報告しますが

有栖川宮は「 徳川家処分は、自分の一存では決められない 」

という流れで西郷は更に京都に向かいます …………



こうして西郷は20日の夕刻に京都に到着

そして同日の夜遅くに

三条実美・岩倉具視の議定と

大久保・広沢・木戸の参預と西郷の6人で徳川家処分を議論しますが、

もちろん長州の広沢と木戸は

賊臣慶喜は死刑!

徳川家は滅亡!!

という流れになり、西郷と大久保以外は慶喜は死刑!!!

となるのですが ――――――





西郷「 朝議が慶喜を殺せというなら、まず西郷を殺して慶喜を殺せ 」

からの朝議沈黙、議論停止



そして、

三条「 慶喜さん恭順守ってるし、死刑はちょっと ………… 」

大久保「 これに賛成 」

という流れで、江戸開城を含む徳川家の処分が決定したようです



という事で回答は

江戸開城の件の2人は本当で

徳川家の処分は6人による合議+明治天皇抜きで決定したようです

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