磯田道文さんの「素顔の西郷隆盛」によれば(2018年発行)
3月15日に決していた江戸城総攻撃の前
慶喜公の使者である山岡鉄舟による談判を受け
徳川家6箇条の処分を西郷がその場で独断で決定し
駿府の有栖川宮に報告したとあります …………
また
勝海舟と西郷隆盛は正式な江戸開城の前の13日に
薩摩藩蔵屋敷で面会しますが、この場には西郷の側近はいましたが
新政府の重要人物は京都にいました
その翌日の14日
薩摩藩邸で勝海舟は正式な哀訴状(降伏状)を示し
西郷はそれを受領し、駿府に早駕籠で向かい有栖川宮に報告しますが
有栖川宮は「 徳川家処分は、自分の一存では決められない 」
という流れで西郷は更に京都に向かいます …………
こうして西郷は20日の夕刻に京都に到着
そして同日の夜遅くに
三条実美・岩倉具視の議定と
大久保・広沢・木戸の参預と西郷の6人で徳川家処分を議論しますが、
もちろん長州の広沢と木戸は
賊臣慶喜は死刑!
徳川家は滅亡!!
という流れになり、西郷と大久保以外は慶喜は死刑!!!
となるのですが ――――――
↓
西郷「 朝議が慶喜を殺せというなら、まず西郷を殺して慶喜を殺せ 」
からの朝議沈黙、議論停止
そして、
三条「 慶喜さん恭順守ってるし、死刑はちょっと ………… 」
大久保「 これに賛成 」
という流れで、江戸開城を含む徳川家の処分が決定したようです
という事で回答は
江戸開城の件の2人は本当で
徳川家の処分は6人による合議+明治天皇抜きで決定したようです