まず、ここまで後悔して「ちゃんと謝りたい」と思い起こった時点で、
神さまに対しても、ご自分に対しても、やり直す心がもう整っています。
お守りやお札は本来は感謝して納めるのが望ましいですが、心が弱っている時に判断が乱れるのは珍しいことではありませんし、それで「罰が下る」と決めつけて自分を追い詰める必要はありません。
むしろ今いちばん大事なのは、心身を守りながら整った形で区切りをつけることではないでしょうか。
「穢れている状態で参拝はよくない」という話は、誤解されやすいところです。
神道の「穢れ(けがれ)」は “道徳的な罪” というより、死や病などで生じる心身の重さ・乱れを指し、祓いで整える前提のものです。
なので「弱っているから参拝してはいけない」ではなく、「弱っているからこそ整えに行く」ということです。ただし無理のない形で。
もし今の体調が不安定で外出自体が負担なら、まずは治療や休養を優先して落ち着いた日に、できれば信頼できる方と一緒に行くのが安全ということですね。
参拝の仕方は今まで貴方が誠実に行ってきた形に戻るのが一番綺麗です。
謝罪の言葉は長く立派でなくて構いません。
「心が弱っていたとはいえ、粗末な扱いをしてしまいました。申し訳ございません。今後は感謝を忘れず、整えて参ります」
―――と、 “これから” の自分を添えることが大切だと思います。
後から完璧にやり直そうとして自分を責め続けるほど、逆効果になりがちです。
今の貴方の状態だと安心材料というより不安を増幅させてしまうかもしれません。
あくまで神社の基本作法や、今までの貴方が誠実に築いてきた作法へ立ち返ることに焦点を合わせるのが安全です。
そして大事なのは、神社での参拝は貴方を整えるためのものだということです。
貴方の生活や健康を削ってまで断行すべきと、また別の固定観を刻むべきではないことに注意していただきたいのです。
参拝に先んじて、心身を整えるために必要なことがあればそちらを優先してください。
落ち着いた貴方に戻るまでの一連の過程に、急ぎ走ることなく向き合うことが、一番の「お清め」になります。