合法的な非課税枠が大きかったのです。
よく小説では「商人は税を払わない」なんて書かれてます。
しかし、
各地の古都に「間口に課税されたので、細長い家が立ち並ぶ」という伝承が残ります。
これは、史実と少し違いまして、課税は村単位、町単位の一括でした。
田中村は100石払え、山田町は80両払え、てな感じで。
田中村では、村人が100石を分担し、山田町では80両を分担しました。その際に、村では田畑が広いと大めに分担させられ、町で家の大きさで分担されることが多かったのです。
「越後屋さんは儲かっていて店も大きいから20両を負担してくれ」。
この100石や80両という数字は、「検地」によって定められます。しかし、この検地は滅多になく、関西の幕府領のように最長180年間も無い所もありました。
普通は藩主の代替わりなどに検地は行われました。
と、いう事は、前回の検地の後の新作物や新商売は非課税になりやすいということなんです。
関西の幕府領では幕末では180年も前の先祖の田畑や商売を基準に課税されていたということなんです。
そして、村の新作物よりも町の新商売の経済成長の方が大きいので、結果的に町は非課税枠がかなり大きくなっていたのです。
結果的には商人に優しい政治となりますな。
なお、農村を苦しめたのは1にも2にも「天候」。儲かる作物ほど、南方系であり、日本での栽培はギリギリでした。