当時の征夷大将軍職は、足利家の「家職」であって、全国の武士は足利家当主(室町殿)=将軍という認識を強く共有していた(例えば4代将軍の足利義持は、将軍職を譲った息子の義量が死んだ後、将軍職に復帰したわけではないが、それでも諸大名からは将軍と見做されていた)。
よって既に室町殿として認められている足利義昭から今更将軍職を剥奪したところであまり意味がなかった。義昭に代わる室町殿候補が他にいるならともかく、そうでない以上、将軍職の有無にかかわらず諸大名は義昭を将軍と見做すから。
また義昭から将軍職を奪えば、義昭との関係が決定的に破綻してしまう。義昭も自らに同情した諸大名を糾合するなどして、死に物狂いで将軍職奪還に動き出すだろうし、万が一にも情勢が変じた時に講和の余地がなくなってしまう。
実際、細川政元によって京都から追放された挙句、将軍職を剥奪された10代将軍・足利義材は、将軍職への返り咲きを求めて諸国を流浪し、政元政権の悩みの種となり続け、遂には大内義興という強力な支持者を得て再上洛を果たし、将軍職に復帰したという事例もある。
また13代将軍・足利義輝を殺害という形で将軍職から追い落とした三好義継や三好三人衆は、全国的な非難を集め、遂には足利義昭を擁した織田信長に駆逐される羽目となった。
その13代将軍・足利義輝は、殺される10年ほど前に三好長慶によって京都から追放されているが、長慶は義輝から将軍職までは奪わなかった。結果として情勢の変化により講和の必要が生じた時も、それほどこじれる事無く和議が成立している。
要するに、義昭から将軍職を奪ったところであまり意味がないうえに、逆にそんな事をすれば義昭やその支持者を完全に敵に回す事になってしまって、デメリットの方が大きかった。
信長自身が将軍職に就きたいと思っていたならともかく、そうでない以上、京都から逃げ出した義昭など放っておくしかなかった。