この質問を読んでもらえるのかどうか分かりませんが、別の方の質問に対して返答した立場で、その後に別の方が答えていただいたので、補足して書かせてもらいます。\u0026gt;四十九日について最近、当地では、四十九日を告別式の直後に、休憩を挟んで行います。やはり、四十九日は、別にやった方が良いですよね。よろしくお願いいたします。その質問に対する私の答えに対して、tak・・・が書いていただいています。その通りだと思うことがたくさんありました。まず浄土真宗の七日七日に対する捉えについては、私の方が間違っていたように思います。「旅をして仏さんになる」ということでの、七日七日については必要ないのだと思います。しかし言われているように、残されたものが心を癒やす時間として、僧侶に参っていただいて、亡くなられた方に思いをいたし、大事にする気持ちでお参りすることはその通りだと思いました。“忌明け”という書き方をしましたが、そういう捉え出なくていいんですね。続いて、火葬をする形の葬儀、みんなが集まりにくい状況の中での49日を行ってしまうことについては、話としては十分納得がいくのですが、現実の問題としてtakさんが書かれているような考え方を元にしているよりは、葬儀社や喪主が「簡単にしよう、安く済ませよう」と考えて進めている場合に、「それではなあ」と思ってしまったわけです。それらの理解の上に立って僧侶が進めていただいているのであれば、全く問題ありません。(喪主と僧侶がきちんとした話をされればいいと思います)私の場合、檀家さんは近くに住んでおられるので七日七日にお参りに行っているのですが、外の方の場合には七日ごとにきちんとお参りさせてもらうことができません。葬儀の時に七日ごとの卒塔婆をお渡しして、「七日ごとに卒塔婆を立てて、家でお参りしてください」と言っています。そこにもう一歩、「お寺でもお参りするので、家でもお参りしてください」と言わせてもらえばいいのですね。takさんの投稿に対しては、「そうだね」「なるほど」のボタンを押しました。「これではいけない」ということが先に立ってしまって、周りが見えなくなってしまっていることが分かりました。このままの文面では、質問になっていないということで「知恵袋」から返答の対象になっていないという指摘がありました。みなさん、この文面に対しての感想をいただけたらと思います。よろしくお願いします。

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1269646

2026-06-26 03:55

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プロフにて自己紹介参照ください。



“式中初七日”“式中満中陰”のことなのですが、



まず、

葬儀社の意見としては、

この手の話しは“葬儀社がすべて悪”と考える“寺方”はたくさんいます。

しかし、

悪質な葬儀社もあるでしょうが、

葬儀社は、お客様の要望・希望に基づき、納得できる\u0026quot;ディレクション\u0026quot;を遂行するものと心得ます。

一概に葬儀社の横暴とは言い難く、“時代の流れによる変遷”とも考えられます。



以前とある“御坊”に、

“伝統的な儀式の意味”を考えろと言われましたが、

しかし、“合理的理由”で儀式が変遷した事例はたくさんあります。

例えば、

土葬から火葬へ移行したさいの“殯”

霊柩車の普及による“葬列”

などです。



この、“時代の流れによる変遷”も“寺方”の理屈では“火葬場”が“霊柩車会社”が悪いのですか?

と云うことです。



寺役員としての意見では、

当方“旦那寺住職”も当初、

“決められた儀式を軽んずるのは良くない”と云う意見で、当然、“意に反する儀式はこちらからお断り”と云う姿勢でした。

しかし、

“核家族化”“少子高齢化”そして何より“情報伝達速度の速さ”は類を見ない時代へと突入しています。

“昔の常識”と“今も常識”との乖離を理解出来なければ、

“当代住職は矜持を通した”と自己満足出来るが“次代住職には必ずツケが回る”と説得しました。

20年前、

“墓仕舞い”“仏壇仕舞い”と云う言葉が出だした頃、

殆どの“寺方”は一過性の出来事と軽く見ていましたが現在では墓石店が率先して『墓仕舞い承ります』と云う始末です。

本来、“仏壇”はどこの家庭にもあるものでしたが、“現代家屋”では仏間がありません。

又、仏壇は“親から子に”“本家から分家に”引き継がれ、言い方が悪いですが『勝手に檀家が増えていく』ものと思い込んだ“寺方”では当てが外れたのが現状です。



これは、

“寺方”が各檀家に対し“布教活動”を怠り、如何に惰性で日々を過ごしていたかと云う証左に過ぎません

ならば、

檀家への意識改革は急務となり“温故知新”の理から、時代に即した手法も吝かでないとの住職の英断から、

10年前“定紋幕”一枚寄進するのに四苦八苦していたのが来年四月、住職の“僧正叙任”祝いを盛大に行えるまでになりました。



檀家全体がそうとは限りませんが、

“一日葬”“式中初七日”“式中満中陰”は“合理的判断”又は“金銭的判断”の極みです。

故に、

“寺方”は嘸かし不満と感じるでしょうが事此処に至っては止めようの無い流れです。



下世話な話となりますが、

経験上、“式中初七日”“式中満中陰”を“寺方”が断れば“遺族”は渋々従うでしょうが、初七日以降“七日七日”を飛ばして最悪“三十五日”切り上げとなることが多いです。

ならば、

“式中初七日”でお布施1万円“骨上げ満中陰”でお布施10万円を別に包むように指示すれば殆どの遺族は喜んで従います。

これが現在の在家の考え方なのです。



仏教の本義は当然理解出来ますが、

寺役員としては出来るだけ檀家全体が平等でありたいとの思いです。

住職の矜持を勘案しても、“時代の流れには抗えず”ただ“旦那寺”と“檀家”の平安を願うばかりです。



数年前、

慰安旅行で福井県永平寺に行きました。

座禅体験に写経をして境内の釣鐘で『NHKゆく年くる年の除夜の鐘で有名です』と云う説明を受けました。

今、除夜の鐘は迷惑で消えつつあるそうです。

その様な時代なのです。



ご参考までに。

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