病気やケガ、罪や罪悪感があることが、-100だとしたら、何でもない日は+100ですよね?毎日、そう思えて、過ごせたら、心が平和だと思いますが、人間って慣れちゃうんですよね。インフルエンザや痛風の時は、健康さえあれば、何もいらないと、いつも思うんですが。また、もし、ラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の言うように、罪や罪悪感(-100の心の状態)がなければ、それは0(ゼロ)ですが、見方を変えれば、+100の心の状態です。人間が自然(神)の被造物で、自由意志がないことに感謝しなければ、いけないですよね。何でもいいです。あなたの感想や考えをください。以下は、長いので、別に読まなくてもいいです。心を軽くする言葉 宇宙を味方の「か・が・み」の法則 Kindle版小林正観 (著)第1章 人生のしくみがわかる「宇宙の方程式」2◎「幸せ」の本質とは幸せを求めない「何もない、普通の生活」が最も「幸せ」なのであり、「幸せ」という現象を求めている間は「幸せ」を感じることはできない。かつて講演会に「一〇年ほど片頭痛で苦しんでいる」という女性がいらっしゃったことがあります。いろいろな治療を全部やったけど治らなかったそうです。「いまも痛い」ということでしたから、私は尋ねました。「もしその片頭痛が治ったら、どんな感じでしょうか?」「この片頭痛がなくなるんだったら、全財産を出しても惜しくないくらいです」ところが、会の終わりにハグをしたら、彼女はこう言いました。「あら? どうしたんだろう。痛くない!」どういうわけか、彼女の片頭痛はなくなってしまいました。満面の笑みを浮かべて「本当にありがとうございました」と言って帰っていきました。私たちは誰もが片頭痛を患っているわけではありません。だから、頭がすっきりして、普通に機能していることを「ありがたい」と思うこともありません。でも、彼女はずっと苦しんできたからこそ、それがない〝当たり前の状態〟に「幸せ」を感じることができたのです。私たちは、「問題がない状態」を〝当たり前〟と考えているから、「何もない普通の生活」という「幸せ」の極みにいるのに、その「幸せ」を認識できないのではないでしょうか。ラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の非二元論の基本原理「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない(仏陀がオリジナルの言葉、無我)」「神の意志でないかぎり、何ごとも起こらない。起こることすべては神の意志(自然の法則、運命、全体性の機能)」は、心の平和のための教えです。達成感というプライド、罪、罪悪感、憎しみ、嫉妬、羨望、責任、敵意、失敗という挫折感、恥、などの自由意志ひいては行為者感覚に起因する心の重荷となる感情の緩和、消滅であり、人生がシンプルになります。ラメッシの本から。『バガヴァッド・ギーター』 Bhagavad Gita文字どおりには、神の歌。『マハーバーラタ』の一部で、その中で、主クリシュナと戦士アルジュナが、決戦を前にして対話する。バガヴァッド・ギーターが罪と罪悪感について、どんなことを言っているのかを知ることは興味深いことです。あなたは神が注目するような罪を犯すこともできなければ、称賛に値する行為をすることもできない。この基本的知識の光は、エゴの幻想の暗闇によって覆い隠され、それゆえ、個人は罪と善行という観点で考えるのである。(Ⅴ/15)この詩は、神が下界を眺めながら、雲の上のどこかにすわっていて、いずれ個人が罰せられたり、報酬を与えられたりできるように、あらゆる人間が行うあらゆる罪と善行の完全な記録をつけているという観念を、断固と破壊するものです。そういった観念は、無知に染み込んでいるのは明らかです。そういった観念は、もし、人が、どんな行為も神の意志なしには起こることができないと完全に確信するなら、広まることはできません。もし、神の意志を完全に受け入れることができれば、人の個人的意志は存在することができず、それゆえ、どんな罪や善行の問題もありえないのです。

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1191382

2026-07-22 15:45

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