そうですねー。
質問者さんは、仏教の学習方法を誤っていますねぇ。
仏教は、学習方法を誤ると、一生涯、研究しても、
釈尊の仏教の本質には到達しないのですよねー。
未来に、その危惧があることを釈尊は十分に理解していますねー。
それで次のように教訓しているのですよ。
『法不依人』(涅槃経)
この意味は、仏教の教えにおいては、
釈迦の説いた経典(法)を拠り所とすべきで、
人(仏教学者や凡僧の解釈)に頼ってはならないという意味ですねぇ。
教えを都合よく曲解する人師に惑わされず、
仏の真実の教え(経文)を直接学ぶべきだという事ですよ。
日蓮大聖人も次のように教訓していますねぇ。
《依法不依人の事
金ににたる石あり、また実の金あり。珠ににたる石あり、実の珠あり。
愚者は金ににたる石を金とおもい、珠ににたる石を珠とおもう。
この僻案の故に、また金に似たる石と実の金と、
珠に似たる石と実の珠と、勝劣をあらそう。
世間の人々はいずれを是ということをしらざる》
要するに、『法不依人』という訓戒を守らなければ、
「愚者は金ににたる石を金とおもい」ということになり、
仏教の本質を理解することなどできないということですねー。
どうしたこんなことを言うのかというと、
質問者さんの仏教知識が、『法不依人』に違背し、
「石を金とおもい」というように、
誤った仏教から創価学会を観ているからですねー。
質問者さんの仏教知識というのは、釈尊の経文や、
日蓮遺文から学んだものではなく、
『法不依人』の「人」に当たる人間の書いたものを
仏教だと錯覚して、論を進めているわけですよ。
創価学会は言うまでもなく、仏教の本質、日蓮仏法を
現代において弘教している団体ですねー。
活動方針や運動論においても、厳密な日蓮仏法との
整合性をとっているのですよ。
だから、創価学会の運動論や活動を理解するためには、
仏教や日蓮仏法を正しく理解していなければ、
正確な評価や判断ができないのは、誰でも分かる道理ですよねー。
それで、書いてある内容をチェックすると、
全体的に、日蓮仏法の無理解を示すようなものばかりですねー。
いちいち指摘するとキリがないので、
2点だけにしましょう。
まず、「創価学会は、日蓮仏法をここまで大衆化し、
ここまで単純化し」と言っていますが、
これはもう、無知としか言いようがないですね。
言うまでもなく、創価学会が大衆化、単純化したのではなくて、
日蓮仏法そのものが、極めて大衆化、単純化されたものですよねー。
だから鎌倉時代、多くの人々の共感を得て信者が増え、
危機感を持った幕府権力から、遠島流罪の迫害を受けたわけですよ。
質問文を読むと、もうこの段階で、
「この質問者は、誤った仏教知識から創価学会を判断している。
聞くに値しない」と思わせてしまいますよ。
さらに、「仏教は本来、言葉の限界を自覚した思想」
と書いていますが、誰がそんなことを言ったのですか。
釈尊も日蓮大聖人も、そんなこと一言も言ってませんよ。
もしそうだとしたら、
仏教史において、膨大な労力と膨大な時間と
膨大な人々の英知を結集して、
釈尊の教えを記憶から文字化した仏典結集を
否定することになりますねぇ。
まあ、日本の禅宗などは、「教外別伝不立文字」
などと訳の分からないことを言っていますが、
まともな仏教研究者からは、「禅宗は仏教ではない」
と揶揄されていますねぇ。
ということで、このような仏教認識の質問者さんが、
創価学会対して「説明から逃げない組織になること」
というのは、冗談ですかね?