中国三千年の歴史を振り返ると、正直なところ圧倒される思いしかありません。殷の時代から文字による国家運営が始まり、思想では儒家・法家・道家などが激しく競い合い、統一と分裂を何度も繰り返しながら、巨大な人口と領土を中央集権的に統治する制度を作り上げてきました。秦漢以来の官僚制、科挙に代表される実力主義、宋代の商業革命、唐の国際性、清の多民族統治など、どの時代を切り取っても「国家とは何か」「社会をどう運営するか」という問いに真正面から向き合ってきた歴史に見えます。それに比べて日本の歴史を考えると、どうしても自分は卑屈な気持ちになってしまいます。日本は中国文明を輸入することで国家の形を整えたにもかかわらず、独自に思想を大きく発展させたとは言いがたく、統治制度も本格的な官僚国家というよりは、貴族政治や武家政権、情実や空気に左右される仕組みが長く続いてきました。大規模な思想対立や制度改革を内発的に積み重ねたというより、外から来た衝撃に後追いで対応してきた印象が強いのです。また、中国が何度も王朝交代を経験し、そのたびに国家を「作り直してきた」のに対し、日本は同じ王統を保ち続けたことを誇りとする一方で、国家そのものを根本から問い直す経験が乏しかったのではないかとも思えてきます。その結果として、近代以降も「制度よりも前例」「原理よりも雰囲気」を優先する体質が残り、長期的な戦略や哲学を欠いたまま場当たり的に物事を決めているように見えてしまいます。中国史の壮大さと重層性を知れば知るほど、「それに比べて日本は、歴史のスケールも、思想の深さも、国家運営への執念も、あまりにも小さく、軽かったのではないか」と感じてしまうのですが、こうした見方はやはり日本を過小評価しすぎているのでしょうか。それとも、この卑屈さ自体が、日本史の本質を突いているのでしょうか。

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1111049

2026-01-09 20:45

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中国三千年の歴史を振り返ると、漢民族は異民族に対して弱いということがつくづくよくわかります。



そもそも秦の始皇帝の秦も、戦国時代の国家の中では、端っこの方であり、異民族に近いといわれます。周は結局、滅びたのです。



「漢」

は、まさに漢民族の漢ですが、その後の隋や唐は異民族国家である北魏の流れであり、匈奴や鮮卑の影響が強い国家です。



宋はまた漢民族に近くなりますが、北宋を滅ぼした金は女真族の国家であり、その後の元はモンゴル人の国家です。



明はまた漢民族の国家になりますが、その後の清はやはり女真族の国家で、これがそのまま20世紀まで続きます。



19世紀にはすでにアヘン戦争、アロー戦争で、西欧列強の半植民地の状態となり、19世紀末には日清戦争で日本に敗北し、義和団事変にも敗れ、日露戦争後には満洲は日本の実質的な植民地となり、満洲から日本軍が撤退したのはソ連軍の侵攻によるものです。



中国皇帝の王朝の系譜は、辛亥革命、さらに満洲帝国の滅亡にとって途絶え、今はマルクスとレーニンを崇拝する共産主義国家です。天安門広場にもマルクスとレーニンの巨大な肖像画があります。



外から来た衝撃に後追いで対応してきた、それこそがまさに中国三千年の歴史といえます。



毛沢東の中国文化大革命では、伝統的な儒家・法家・道家全部が、マルクスとレーニンの論理によって完全否定されました。今の中国共産党による一党独裁の論理も ドイツとロシアからの借り物であるマルクスとレーニン、ヘーゲルの弁証法が論拠なのです。

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