中国三千年の歴史を振り返ると、漢民族は異民族に対して弱いということがつくづくよくわかります。
そもそも秦の始皇帝の秦も、戦国時代の国家の中では、端っこの方であり、異民族に近いといわれます。周は結局、滅びたのです。
「漢」
は、まさに漢民族の漢ですが、その後の隋や唐は異民族国家である北魏の流れであり、匈奴や鮮卑の影響が強い国家です。
宋はまた漢民族に近くなりますが、北宋を滅ぼした金は女真族の国家であり、その後の元はモンゴル人の国家です。
明はまた漢民族の国家になりますが、その後の清はやはり女真族の国家で、これがそのまま20世紀まで続きます。
19世紀にはすでにアヘン戦争、アロー戦争で、西欧列強の半植民地の状態となり、19世紀末には日清戦争で日本に敗北し、義和団事変にも敗れ、日露戦争後には満洲は日本の実質的な植民地となり、満洲から日本軍が撤退したのはソ連軍の侵攻によるものです。
中国皇帝の王朝の系譜は、辛亥革命、さらに満洲帝国の滅亡にとって途絶え、今はマルクスとレーニンを崇拝する共産主義国家です。天安門広場にもマルクスとレーニンの巨大な肖像画があります。
外から来た衝撃に後追いで対応してきた、それこそがまさに中国三千年の歴史といえます。
毛沢東の中国文化大革命では、伝統的な儒家・法家・道家全部が、マルクスとレーニンの論理によって完全否定されました。今の中国共産党による一党独裁の論理も ドイツとロシアからの借り物であるマルクスとレーニン、ヘーゲルの弁証法が論拠なのです。