一時開業が原点とは言えない
原点は東西線の計画時に三田線を分離した所から始まる
東西線(5号線)は東陽町から高田馬場を経て中野へ向かう線と、途中大手町から分岐して板橋方面へ向かう路線があったが、運転整理が困難なため新たに分岐線を6号線として計画決定された
この時なぜか赤羽民がうちへ地下鉄を伸ばせと言ってきた
この後の経緯はよく判らないが、結果として7号線という路線の計画決定という形を経た
しかし7号線には乗り入れ先がなく、常磐線の混雑を解消しようとした国鉄が9号線を提案するなどしてなし崩し的に8号線、10号線と決定路線が増えて行った
交通営団の方でも気乗りがしなかったのか、三田線の次に敷設されるべき南北線は後回しとなった
あとカオス度は他の線でも変わらないと思うけど、内需拡大路線にうまく乗っかったためか、ご覧の有様になった