古代ローマは地中海を内海とする大帝国を作ったので強いことは強いが
敵に優秀な軍才を持つ人物が現れると思わぬ大敗を喫しっていました
例えば
カルタゴのハンニバルによりカンナエで見事な包囲戦でローマ軍は壊滅
ゲルマン人ケルスキ族長アルミニウスによりトイトブルクの森でローマの3個軍団を壊滅させられる
パルティアの貴族スーレーン家のスレナスによってカルラエで大敗しローマ軍指揮官クラッススの首を討ち取り、その首を首都でギリシア悲劇を劇場で鑑賞中だったパルティア王オロデス2世の元へ行き、討ち取ったクラッススの首を劇場に投げ込んだ
(当時のパルティアはまだギリシア文化の継承者を自称していた)
東ゲルマンのゴート族長クニヴァにベロエア、アブリトゥスで連敗、皇帝デキウス、ヘレンニウスを討ち取る
ササン朝の皇帝シャープール1世によりエデッサで大敗し皇帝ヴァレリアヌスが捕虜となり、獄死
一説によるとヴァレリアヌスは剥製にされ首都の門に飾られていたという
(ローマから使者がササン朝の首都を訪れ驚愕して本国に報告したという)
ヴィシ・ゴート(西ゴート)の軍事指揮官フリティゲルンによりマルキアノポリスの戦いでトラキア総督ルピキヌス率いるトラキア野戦軍が壊滅させられ、アドリアノープルの戦いで東ローマ軍を片翼包囲により撃滅、小屋に逃げ込んだ皇帝ヴァレンスを焼き殺した
(それまでゴート族は飢えに苦しんでいたが、ルピキヌスはそれを見て死んだ犬の肉を売ったり、飢えから救ってやろうと子供たちを要求、飢えに苦しむよりはローマの善意を信じ差し出したが、後にゴート族に救い出され時、子供たちから慰み物にされたことを聞き、怒り心頭のゴート族は包囲されたローマ軍を殲滅した)
ローマ人がイタリア人になるのはランゴバルトのイタリア侵入から
それまでの西ゴート王国は東ローマから王(パトリキウス)として認められ、西ゴート王国も元老院議員やローマ人大土地所有者の権威を認めていたが
東ローマと関係のないランゴバルトは元老院議員などローマ人の権威は認めず、土地を奪い、反抗した者は容赦しなかった
その一方で中下層のランゴバルト人とローマ人の混交が進み、イタリア人が形成されていったのです
ローマは強かったが
百年戦争戦勝後からナポレオン戦争に至るまでフランスはロシアを含むヨーロッパでは国力、人口、軍事力で他を圧倒する超大国で
フランスに対抗するにはイングランドやスペイン、オーストリアのハプスブルク家、オランダなどが連合しなければ対抗できなかった