高一言語文化です。東下りの「日も暮れぬ。」は「日が暮れてしまう。」という口語訳になりますが、「日が暮れない。」という文法的に口語訳にもなりませんか?前者になるのは、前後の文章から考えて、という事なんでしょうか?

1件の回答

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1084747

2026-03-11 05:40

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>「日が暮れない。」という文法的に口語訳にもなりませんか?



なり得ますけど、かなり無理筋です。





>前者になるのは、前後の文章から考えて、という事なんでしょうか?



それもありますが、何よりも、文法的に考えて、「ぬ」が「連体形」である理由がない、ということです。



「ぬ」が連体形なら、「打消の助動詞」なので、「日も暮れぬ。」は、「日も暮れない」になりますが、

「ぬ」が連体形であるためには、

1,係助詞「ぞ、なむ」の結びである。

2,「ぬ」の直後に体言が省略されている。

3,連体形止めにして詠嘆を表している。

4,連体形が終止形の代用として用いられている。

のいずれかの条件に当てはまっていなければなりません。

「1」が、事実上「ない」のであれば、

「2,3,4」の可能性が、絶対にないとは言いきれませんが、

古代人だって、そんな「暮れた」のか「暮れない」のかわからないような表現をあえて選んで読者を混乱させてまで、強調や詠嘆を表そうとするとは、通常、考えられません。

強調や詠嘆を表したいだけなら、そうしたはたらきをもつ終助詞を加えるとか、係り結びにするとか、ほかにいくらでもやりようがあるからです。

このように考えると、「ぬ=連体形」の線はやはり「ない」と考えられ、

「ぬ」は「完了の助動詞「ぬ」の終止形」と順当に解釈して、

「日も暮れた、日も暮れてしまう」と訳すのが正しいことになります。

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