>「日が暮れない。」という文法的に口語訳にもなりませんか?
なり得ますけど、かなり無理筋です。
>前者になるのは、前後の文章から考えて、という事なんでしょうか?
それもありますが、何よりも、文法的に考えて、「ぬ」が「連体形」である理由がない、ということです。
「ぬ」が連体形なら、「打消の助動詞」なので、「日も暮れぬ。」は、「日も暮れない」になりますが、
「ぬ」が連体形であるためには、
1,係助詞「ぞ、なむ」の結びである。
2,「ぬ」の直後に体言が省略されている。
3,連体形止めにして詠嘆を表している。
4,連体形が終止形の代用として用いられている。
のいずれかの条件に当てはまっていなければなりません。
「1」が、事実上「ない」のであれば、
「2,3,4」の可能性が、絶対にないとは言いきれませんが、
古代人だって、そんな「暮れた」のか「暮れない」のかわからないような表現をあえて選んで読者を混乱させてまで、強調や詠嘆を表そうとするとは、通常、考えられません。
強調や詠嘆を表したいだけなら、そうしたはたらきをもつ終助詞を加えるとか、係り結びにするとか、ほかにいくらでもやりようがあるからです。
このように考えると、「ぬ=連体形」の線はやはり「ない」と考えられ、
「ぬ」は「完了の助動詞「ぬ」の終止形」と順当に解釈して、
「日も暮れた、日も暮れてしまう」と訳すのが正しいことになります。