古文の敬語について。敬語は主語を判断する材料になると思うのですが赤で線を引いているところは尊敬語が使われているので主語が光源氏を断定していいのでしょうか。最近敬語を勉強する意義が分からなくなっています。あんまり役に立たない気がして。

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1243088

2026-07-05 06:15

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いえ、尊敬語が使われているから光源氏、なのではなくて、
「一所の御心の内」が、光源氏の「御心」だから、
主語は光源氏、なのです。

尊敬語が使われている、だけなら、
宮にも、部分的には御子にも、使われています。
話の流れ上、ここで「御心」の内の「あはれ〜契りかな」を思って涙を流すのが、光源氏でなくてはおかしいから、
主語は光源氏、なのです。


>最近敬語を勉強する意義が分からなくなっています。あんまり役に立たない気がして。

敬語に全幅の信頼を置きすぎなんです。
敬語法は、主語確定の(比較的重要な)一要素にはなっても、
敬語だけで全ての主語確定が解決するわけではありません。
他の要素も考慮に入れて、全体的な把握の末に、主語は確定するものです。

速く走るには腕の振りを大きくすることだ、とコーチに指導されて、
せいぜい腕の振りを大きくしたけれど、全然オリンピックに出られないじゃないか、
と言っているようなものです。
「それだけじゃダメ」なんです、当たり前だけど。
だからといって、「腕の振りを大きくすることになんか、何の意味もない!」と、腕を振りを敢えて小さくしますか?
今よりもっと遅くなるだけでしょう?

敬語が万能ではないからといって、敬語を勉強する意義まで見失ってしまったら、
主語確定のための「(比較的重要な)一要素」さえも失ってしまいます。
つまり、今よりもっと主語が確定できなくなる、ということです。
万能ではないとしても重要ではある、それが敬語法です。

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