1941年9月5日、天皇は杉山元など軍幹部などを何回も呼び「シナは四か月で片付くと言ったのにもう四年もたっているのにまだ片付いていないではないか」と叱責し、「対米開戦したら日本は絶対勝てるのか」と聞き、杉山は「絶対とはいいかねますが勝算はあります」と答えている。
10月13日、昭和天皇は「昨今の状況では日米交渉の成立は望み薄く万一開戦となった場合には宣戦の詔勅を発する」と木戸幸一に言っていた。
10月18日、近衛首相は対米開戦絶対反対でアメリカの要求のように中国からの全面撤退しかないと言うと東条陸相は強硬に反対し、当時の首相は国務大臣解任の権限がなかったので内閣不一致で近衛は辞任するしかなく、後任には対米開戦反対していた東久邇宮を首相にと天皇に推挙したのに天皇は皇族に責任来るからダメだと拒否し、よりによって一貫して対米開戦主張していた東条英機を木戸幸一内大臣の推挙で首相にした。これには高松宮も「なぜ陛下が東条を選んだのか理解に苦しむ」と驚愕し、対米開戦の腹をくくっていると実感したという。 天皇は東条が首相就任後に「対米英蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」を作成して対米英蘭戦争準備して、何回も天皇に対米開戦作戦を奏上し天皇は何回も疑問点は下問している。
11月30日、天皇は「海軍の一部には対米開戦に不安があるようだが明日の御前会議は予定通り開くのか」と東条首相に聞き、東条は「ご不安でありましたら海軍にお確かめられるのが至当であります」と答え、永野海軍軍令部総長を呼び天皇は「矢を放ち一旦矢が離れると長期の戦争となるのだが、予定通りやるのか」と尋ね、永野は「準備万端で大命降下をお待ちしています」と奉答し、翌日の御前会議で作戦の詳細を述べて天皇は納得。その後木戸幸一内大臣を呼び「海軍大臣、軍令部総長いずれも相当な確信以って奉答せる故、予定通り進むよう東条首相に伝えよ」と言っている。そして翌12月1日御前会議で対米開戦が決定した。
このような開戦までの経緯みてもわかるように勝てると思っていたから開戦したのです。