聖書の「矛盾や整合性の問題」は、古代と現代の文書観の違いから理解できます。
まず、私たち現代人は、「一冊の書物は論理的に統一され、矛盾がないように編集されるべきだ」という前提を自然に持っています。しかし、聖書が形づくられた古代の世界では、文書に対する考え方がまったく異なっていました。
古代のユダヤ人や初代教会にとって、伝承そのものが尊重されるべき“聖なるもの”であり、それを後から整合性のために書き換える必要はありませんでした。むしろ、それぞれの背景をもつ共同体が受け継いできた複数の証言がそのまま残されていることが、神の働きの多面性を示すものとして大切にされていました。
つまり、「矛盾=誤り」ではなく、「多様な証言=豊かさ」という理解が古代の文書観です。
また、聖書の目的は、現代の教科書のように事実を一列に並べることではなく、人間の心の深いところを照らし、神と人との関係を語ることにあります。
そのため、細部の記述の違いは、聖書の本質的なメッセージを損なうものではありません。
補足の中に「編纂段階で修正するのは不敬だったのか」という記載がありましたが、より正確には、「修正する必要があるという発想自体が古代には存在しなかった」と言った方が実態に近いと思います。
聖書は、一人の編集者が全体を整えた“単一の書物”ではなく、長い歴史の中で複数の地域的・時代的背景をもつ共同体が受け継いできた“文書群”です。その多様性をそのまま残したことこそ、聖書の特徴であり価値でもあります。