坂本龍馬が梅毒と証言しているのは中江兆民だけなんですよね。
正確には兆民の弟子であった幸徳秋水によって書かれた中江兆民伝である「兆民先生」中で、兆民の言として坂本について書かれている箇所のみです。
「彼の眼は細くして其額は梅毒の為め抜上がり居たりきと」
(彼の目は細くて、その額は、梅毒のためにぬけあがっていた。)
これだけの史料で坂本龍馬を梅毒と判定するのは乱暴すぎますね。私が認識している中で、歴史研究者で坂本が梅毒だったという説を支持しておられる方はひとりもいません。著名な歴史作家での中では、たったひとりおられるだけです。つまり現在の学術的には、坂本龍馬は梅毒でないということです。
マラリアについても同様。
この説を唱える歴史研究者はひとりもいません。
(自称歴史家、エセ研究者は除く)
坂本龍馬が近江屋で暗殺されたときに、高熱のせいで寒い土蔵(隠れ家)から、暖かい近江屋の母屋に移っていた、という話しが独り歩きして、坂本の晩年は高熱続き=マラリア、というこじ付けに過ぎません。
坂本という人は、全国を飛び回る周旋家として活躍した人物です。暗殺されたのは11月15日ですが、11月初めに福井まで歩いて行って戻ってきていますし、その福井で三岡八郎(由利公正)と新政府の財政について「徹夜」で語り合っています。そのときに坂本が高熱だったという記録はありません。
また暗殺される前日、前々日と、幕府の大目付だった永井尚志・寓居を数回訪問しています。また街中で中村半次郎と偶然出会い挨拶を交わすほど出歩いていたり(中村半次郎日記)、当日も昼間から福岡孝弟の妾邸を二度も訪ねたりと(福岡孝弟日記)、非常にアクティブに動き回っています。
これらの記録に、高熱で苦しんでいる坂本龍馬の姿は見いだせません。
以上のように、坂本龍馬が梅毒でマラリアであったという可能性は、非常に低いものだと判断できます。