教会の「証集」を読むと、「祈りが聞かれた」「神はこんなに素晴らしいことをしてくださった」という話ばかりが並んでいます。しかしこれは、教会にとって都合の良い体験談だけを切り取っているように感じます。実際には、祈っても願いが叶わなかった人、苦しみが続いたままの人も多くいるはずです。ところが、「祈りが聞かれなかった」「期待した結果にならなかった」といった証を載せようとすると、牧師や教会側が認めてくれません。これは事実上の言論統制ではないでしょうか。そうした声を無視し続けてきた結果、教会から離れていく人が増えている面もあると思います。本当に信仰が現実に根ざしたものだと言うなら、うまくいった話だけでなく、祈っても答えが得られなかった経験や葛藤も含めて共有するべきではないでしょうか。証集には、成功談だけでなく、信仰に悩み、揺れ、答えを得られなかった人の声も載せてこそ、クリスチャンの実像に近づくのではないかと思います。

1件の回答

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1022347

2026-03-13 03:45

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>「祈りが聞かれなかった」「期待した結果にならなかった」といった証

って、そもそも証しのじゃない気がする。



教会における「証し」ってただの証言じゃなくって、神様の素晴らしさを証しするの証しですよ。

「祈りが聞かれなかった」だけだと、たぶんその証しの要件をみたさないと思います。祈りが聞かれなかったことを通して、自分の弱さを知った。とか、悔い改めるべきことを教えられたとか、自分がなすべきことを示されたとか、+αがないと神様の栄光を表す証しにはならないでしょうね。

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