基本的に古典武士は走る鍛錬より、組討で首を取るためのパワートレーニング、行軍用には馬に乗る鍛錬をしていました。
なぜなら古典時代では走ることは日常では下品なこと、非常識なことだという意識がまだ深かったからです。
なので鍛錬として日常的に走るということはしてなかったでしょう。
それに走るのは歩兵、足軽の役割ですから。
走り込み、ランニングが鍛錬目的となっている記録は戦が終わった江戸期からです。
古い記録では、山鹿素行の『武家事紀』(1673年)の中で、武士の鍛錬として「走り比べ」を推奨していました。これは屋敷内を走り、脚力を鍛える訓練であり、当時の武士が馬や駕籠に過度に依存している現状に対する批判的な提言であったと考えられます。
寛政遠足(1791年)
江戸城から鎌倉鶴岡八幡宮までの約105kmを往復する徒競走が幕府主催で行われました。このイベントは、山田桂翁の『法暦現来集』と平戸藩主松浦清山の『甲子夜話』に記録されています。
安政遠足(1825年)
安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野神社まで走らせた徒歩競走。日本のマラソンの起源とも言われています。
また、薩摩藩の子供は鹿児島から6里(約24キロメートル)離れた山まで競争した「荒平越えの横引き」を行い、また毎月20日に鹿児島から5里ほど離れた島津義弘の菩提寺・妙円寺まで下士の少年達が参詣する風習がありました。