「神仏混淆」と「神仏習合」は厳密には意味が異なります。神仏混淆とは神と仏をごちゃまぜにして祀ることですが、神仏習合は一定の理論にもとづいて神と仏を一体として祀ることをいいます。
さて、神仏習合にとって重用な概念に「本地垂迹」があります。
神の本来の姿(本地)は仏であって、仏が神に姿を変えてこの世に現れた(垂迹した)のだという考えです。
本地垂迹思想の源流は密教の「森羅万象は大日如来の化身である」という考えです。つまり、神仏習合というものは基本的に密教的なのです。
密教の宗派には真言宗と天台宗があります。
高野山には土地の神である丹生津比売神と高野明神が祀られていましたが、空海は金剛峯寺を開くにあたってこの土地の神も取り込んで祀っています。
そして真言宗からは、両部曼荼羅(金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅)の仏を神々と対応させた「両部神道」という神道理論が生まれることになります。
比叡山のふもとには比叡山を神格化した神を祀る日吉山王社(日吉大社)がありました。
最澄は比叡山に延暦寺を開くと、日吉大社を寺の鎮守として、延暦寺と日吉山王社は一体的に発展していきました。
やがて天台宗からは「山王神道」という神道理論が生まれます。
神仏習合の論理はだいたいこの2つの神道理論に集約されますので、神社内寺院であった神宮寺も明治以降は天台宗か真言宗の寺院になっていることが多いです。
下の方々が書いている稲荷神の本地仏は荼枳尼天とされます。荼枳尼天は密教でしか祀られない仏なので、とうぜん密教寺院との関係が深くなります。
しかし「日本三大稲荷」のひとつに数えられる愛知県の豊川稲荷は正式には妙嚴寺といい、曹洞宗の寺院です。
曹洞宗は道元が開きますが、大々的に広まったのは4世瑩山の働きに負っています。瑩山は天台密教も学んでいて、密教的な加持祈祷や民俗信仰なども柔軟に取り入れた人ですので、妙嚴寺のように曹洞宗寺院が稲荷信仰の聖地になることも起こり得るのです。