建築学生に質問です。建築学部の設計課題の評価はどう思いますか?私が感じているポイント↓① 評価基準が「建築の成立」ではなく「見た目・印象」に偏っている。(建築として破綻していても高評価が成立してしまう)② 「設計=成立させる行為」という本質が評価に反映されていない(誠実に成立を考える学生ほど、評価が下がる逆転現象が起きる)③ 評価者(教員)が破綻を厳密に検証していない(失敗に対する現実的なフィードバックが存在しない)④ 経済力・時間・通学条件が評価結果に直結している(高価な材料・きれいな模型ほど高評価になりやすく、経済的条件が「設計力」にすり替えられて評価される)⑤ 設計課題が「模型コンテスト化」している(設計課題が思考訓練ではなく展示競技になっている)⑥ 「選ばれた発表者=正しい」という誤ったメッセージが生まれる(学生に誤った成功モデルを刷り込む)⑦ 有能な学生の離脱と、誤った自己評価の固定化を生む(誠実に成立を考える学生ほど評価されないため、自分は向いていないと誤認し、設計から離脱する。一方で、派手な表現だけで評価された学生は「設計が得意だ」と誤学習する。)⑧ 教育としての説明責任が不足している(「これは学内評価であり、実務とは違う」という前提を十分に説明しない。そのため学生は、評価=能力、高評価=設計適性と誤解しやすい。評価の意味づけが不透明なまま進行する。)総括大学の設計課題の評価方法は、建築を「成立させる力」よりも「それらしく見せる力」を優先しやすい構造を持っている。

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1051952

2026-03-02 22:10

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>建築学部の設計課題の評価はどう思いますか?



建築学生ではないですが、あなたは評価に関する本質を理解できていないと思います。高校までの試験においては、時間をかける=点数が取れる確率が上がる=評価につながるとなります。が、大学含めて、社会ではそうではありません。



評価される最低条件は、評価者に気に入られることです。

これが評価される最低条件なので、気に入られなければ評価されることはありません。これは大学の教授が狭い世界で生きているから起こることだと勘違いされがちですが、社会も一緒です。

建築の設計というものは、自分がいいと思うものを提案することよりも、相手がいいと思うものを提案することが本質だからです。評価の本質はここです。





>① 評価基準が「建築の成立」ではなく「見た目・印象」に偏っている。(建築として破綻していても高評価が成立してしまう)



評価の基準は教授がいいと思うかどうかです。

建築に限った話ではないですが、カレーを作れという課題がでて、教授はすべてを言わないにしても実は辛いのが食べたいのに、甘口カレーを作っては評価されません。なので、何を作ってほしいかをしっかり聞かないといけません。

評価基準は教授がどういうものを期待して課題を出すかになるので、そこがずれると評価されません。





>② 「設計=成立させる行為」という本質が評価に反映されていない(誠実に成立を考える学生ほど、評価が下がる逆転現象が起きる)



これも①と同じです。

義務教育課程や高校の学校の試験ではないので、時間をかける=成果が出るではないです。最初の教授から評価を得るというスタートラインを間違えると、時間をかけても加点につながりません。





>③ 評価者(教員)が破綻を厳密に検証していない

(失敗に対する現実的なフィードバックが存在しない)



学生が50人も60にもいるわけですから、一人一分かかわったら、時間がなくなるからです。だから、教授は見たいものしか見ません。

ついでにいうと、研究室は数人しか来ないから、端から全員とかかわる気はないと思います。





>④ 経済力・時間・通学条件が評価結果に直結している

(高価な材料・きれいな模型ほど高評価になりやすく、

経済的条件が「設計力」にすり替えられて評価される)



これも社会にでると同じですが、きれいなもののほうが評価されます。

設計事務所にでもつとめればわかりますが、提出物はすべてきれいに作れと言われると思います。包装一つとっても同じことが言われます。就活でも一緒です。ポートフォリオをつくるなら、レイアウト力が問われます。



結局は、見た目も評価のうちです。





>⑤ 設計課題が「模型コンテスト化」している

(設計課題が思考訓練ではなく展示競技になっている)



表現の方法の問題ですから、限度が問われないなら最大限でやるべきです。

インチキみたいなもんですが、社会でもやったもん勝ちです。





>⑥ 「選ばれた発表者=正しい」という誤ったメッセージが生まれる(学生に誤った成功モデルを刷り込む)



これも社会に出たらそうです。

結果出す奴が勝ちなので、世間的に案がどうであろうが、施主にあたる人、大学なら教授をうならせれば勝ちです。





>⑦ 有能な学生の離脱と、誤った自己評価の固定化を生む



これはそうです。

最初に書いたように、「時間をかける=点数が取れる確率が上がる=評価につながる」が、いつの間にか教授の機嫌取りできる奴が評価されるに代わるからです。やってらんねえってなる人は体感だと8割くらいいると思います。



でも社会に出てわかりましたが、気に入られる能力が一番重要ですから、設計者としての能力は二の次だったりします。



もしくは教授に気に入られるかどうかは無視して自分で頑張れる折れないやつが残る世界です。





>⑧ 教育としての説明責任が不足している



教授は研究機関だと思ってるから、教える気はないと思います。

教授がやることは講義じゃなくて、研究成果を出すことであり、その成果をもとに講義するので、高校までの学校と違います。











①~⑧について、これまでの学生生活は時間をかければ成果が出る環境だったものが、いつの間にか教授に胡麻をすることが評価につながる結果となり戸惑ってるだけだと思いますが、教授に胡麻をする必要はありません。



しかし、建築の設計というのは、人間が一番お金を使う重要な建築工事かかわる仕事ですから、施主が第一です。施主のことを考えないといけません。一級建築士試験でも同じことが問われますが、課題文が施主となり、課題文から1つも欠落することなく製図試験を完成させないといけません。学生から見たら、大学はその訓練ですから、教授が施主と例えて、教授が望むものを作ることが設計だと思ってください。自分が作りたいものを作るのは芸術であって、建築分野は工学分野ですから、あくまで金を支払う施主を手助けする仕事になります。



あなたが思うことは学生だと誰しも感じることですが、社会人になると大学の数千倍理不尽なので、大学はその訓練だったんだろうなと振り返って感じることができます。



なので、大学の評価については、教授が本当に求める課題の答えを作るか、教授は無視して、自分がありたいと思う設計を貫くかどっちかです。後者は大学においても社会においても評価されるかわかりませんが、一番やっちゃだめなのは途中で投げ出したり折れることです。続けることに意味があるので、どっちかは自分で選ぶといいです。



ちなみに自分は胡麻をするのがいやなので後者でしたが、社会に出るとそうも言ってられないです。

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