意味を考えたら、クリスマスは全く重要ではないんです。
イエス・キリストの「誕生」を祝うお祭りでしょ、それは重要ではなくて重要なのはイエス・キリストの「死」なんですよ。死ななかったらキリスト教は無かった。
ところでイエスというのは3回死んでる、って知ってますか? ゼロゼロセブンは2度死ぬって映画があったけど、イエスは3度なんです。
1度目は有名な十字架での刑死。これはナザレのイエスという人間で死んだ。
2度目は死の意味を全く変えられて、神の子でキリストとして死んだ、とされた。
ここまではキリスト教徒は知っている。しかし3度目があるんです。
3度目の死は、キリストとして人間の「罪の贖い」のためという意味を理解されず、贖いとして差し出された先は罪ではなくて神だ、いや悪魔だ、いや人間そのものだ、などと混乱している。
2度目の死の意味を考えたのはパウロという自称使徒だったが、その意味をいまや多くのキリスト教徒がまたしても変えている。これほど死んで浮かばれないイエスとは・・・ついてないと思いませんか。
それが宗教というもので、一旦権威に祀り上げられたら、ナンでもありになる、その最大の見本です。