あります。
「御所(将軍)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」今川記。
足利一門筆頭吉良氏分家の今川義元が上洛して天下を取ろとしたときの戯言。
阿波三好氏が13代将軍足利義輝を討って傀儡の阿波公方足利義栄を14代将軍にしようとしたのに対抗でほざいた事です。後に義輝は三好三人衆に討たれ阿波公方足利義栄を14代将軍になった。
家系図的には今川氏より吉良氏が上。
今川義元にとって吉良氏の存在は家格秩序の上から悩みの種だった。今川義元の重臣太原雪斎の天文18年(1549年)9月5日付書状は吉良氏当主吉良義安を「御屋形様」と呼んでいる上、宛先も当主本人ではなく「西条諸老」すなわち西条吉良氏家老宛としている。現実の世界では今川氏は駿河・遠江・三河3か国を支配しており、弱小勢力の吉良氏はその下に従属しているにもかかわらず、書札礼の世界では雪斎は吉良義安の陪臣(家来の家来)として振る舞わなければならなかった。