ロシアのアレクサンドル1世が最も専横的で反動的な専制的な君主だった
アレクサンドルの父パーヴェル1世は女帝エカチェリーナ2世と愛人セルゲイ・サルトゥイコフとの子でロマノフの血統は絶たれているが、公にはされず
アレクサンドルにはロマノフの血統がないにも関わらず歴代ロマノフ皇帝よりさらにロマノフ的な専制君主だった
ナポレオンに対し対仏大同盟を組織するが、アウステリッツで大敗し一時フランスに臣従する
しかしナポレオンが身分不相応なアレクサンドルの15歳の妹に求婚したことで成り上がりのコルシカの中年男の無礼な申し入れを拒否し再び対仏大同盟の再結成のイニシアティブを取る
対ナポレオン戦争戦勝後は神聖同盟結成を唱えるなど保守反動の盟主となった
アレクサンドルに比べるとオーストリアのフランツ1世は保守的であるもののアレクサンドルよりは過激ではなく
プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世に至っては優柔不断な性格で政治はシュタインやバーデンベルクのような大臣に任せ、強い性格の王妃に頭が上がらなかった
イギリスでは既に議院内閣制が確立されており、王権が政治に関与できることは極めて限定的だった