『三国志』の中のいわゆる魏志倭人伝には、邪馬台国の住所が明記されていて、「会稽東冶(治)之東」に邪馬台国があるとしています。更に風俗は「儋耳(タンジ)・朱崖(シュガイ)」に「相近し」としています。
会稽郡東冶県(かいけいぐんとうやけん)は現在の福建省福州市。その東は台湾北部海上となります。儋耳郡・朱崖郡は現在のベトナムに近い海南島にありました。つまり、倭人伝は倭国を南方の国と位置付けていたことになります。
魏は傘下の倭国を国内向けに敵対する呉の東の海上に置きたかったという説もあります。魏への朝貢国で金印授与の最上級の待遇を受けた国は二カ国。ガンダーラを造った西方のクシャン族の大月氏国と倭国のみ。更に『三国志』の中の『魏志』に朝貢国に対する皇帝の詔書全文が載るのは、倭国のみです。
この時点で倭国がショボい国家で無かったことが明らかです。
古墳時代を形成したヤマト王権は、魏鏡のレプリカを大量に造って各地の有力者に威信材として配布しています。中には「景初三年陳是作鏡」と魏の年号入りで造った工人の名が記されているものもあります。
邪馬台国の栄光である魏からの後ろ盾。倭国を統べる邪馬台国の王が魏の皇帝から「親魏倭王」と柵封された権威を誇示するようにヤマト王権が威信材・記念メダルとして配布した魏鏡様式の三角縁神獣鏡。これは邪馬台国との連続性を示すものに他ならないものです。
3世紀中葉からの王権の渡来は征服を示す痕跡がなくまず考えにくいところです。むしろ考古資料からは国内の連合を示すものしかありません。ヤマト王権の古墳様式も弥生からの墳丘墓の様式や古墳時代直前の王墓級の墳墓の様式を受け継いでいることから連続性が見て取れるものです。