現代では数学や哲学の専門的訓練を受けていないような人は、昔の人が漢文の学習によって身に付けていた言語の論理的運用を殆ど習いません。-正確には論理国語という単元はあるけれど、習うのは昔の現国の教材と同じで、ライティングや言語の論理的運用を習う訳ではありません。-現状は、個人でなにかの文献を読んで、訓練する程度です。そういう意味で、今の日本の国語教育には欠落はないでしょうか?

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1016823

2026-05-09 06:00

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欠落はありますが、「昔の漢文=論理訓練」をそのまま戻すより、現代向けに論証と文章作法を系統立てて教える不足が大きいです。

昔の漢文や儒学の素読は、語彙や文型だけでなく、筋道立てて言い切る文体、主張と根拠の結び方、反論の扱いなどを反復で身につけやすい面がありました。一方、今の国語は読解中心になりやすく、要約、根拠提示、反証、定義、段落設計、引用のルールといった「書いて論理を運用する訓練」が授業時間や評価の都合で薄くなりがちです。

ただ、漢文をやった人が全員論理的だったわけでもなく、論理は数学や哲学だけのものでもありません。必要なのは、文章で「主張、根拠、具体例、想定反論への応答」を明示する練習を、国語の中で継続的に扱うことですが、現状は学校差や個人努力に寄っているので、教育としての穴はあると言えます。

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