中国史上初の海外作戦の出発地点は意外にも芝罘であった
芝罘は悠久の歴史を持つ沿海の古港で数千年来芝罘湾沿岸では重大事件が発生している。史上初の記録は春秋時代の斉の景公の大規模な海上遊覧の活動である。『晏子春秋』には斉の景公が晏子に「吾れ、転附・朝儛(ちょうぶ)を観、海に遵(したが)って南し、琅琊に至らんと欲す。寡人 何を脩むれば則ち夫(そ)れ先王の遊(ゆう)ならんか。」と質問している。ここでいう「転附」とは、現在の芝罘であり、芝罘の史上最初の名称である。朝儛は現在の威海の東南で、琅琊は青島の南である。
斉の景公が始めた芝罘での海上遊覧は、漢代の学者劉向の『説苑』に「斉の景公 海上に遊びて之れを楽しむ、六月にして帰らず」と記載しており、海上活動の広大さと、影響の深さを物語る。秦以来、転附は初めて「芝罘」と呼ばれた。秦王嬴政が戦国七ヶ国を統一してから、五度天下を巡幸したが、その内三度芝罘を訪れている。漢の武帝劉徹も何度も東巡したが、最も有名なものは太始3年(紀元前94年)に芝罘に登り、大海に臨むと「山が万歳と称した」ことである。こういう活動は、皇帝の遊覧と軍事的色彩のある政治活動であった。