守護大名から戦国大名になる条件として「在京の免除」が大きいのではないですか?□室町時代の守護には「在京義務」という幕政に参加する義務がありました。在京義務は、守護が定期的に京都に滞在し、幕府の要職に就くこと、または幕府の指示に従って政治や軍事に関与することを意味します。□戦国大名化に成功した守護の多くが島津・大友・大内・今川・武田など在京が免除された地域に集中していませんか?□<武田信玄>

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1069120

2026-02-16 07:50

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おっしゃる通り、
守護大名から戦国大名になる条件として「在京の免除」は大きかったと思います。

諸説ありますが、
守護大名が室町幕府の権威を利用して国を統治するのに対し、
戦国大名は幕府から自立し、実力と家臣団を組織して国を独自に統治していました。

ですので、室町時代も中期までは、
将軍・管領はどの守護任免権にも強制力がありましたから、
守護大名が領国を統治する為にも在京制には意味がありました。

九州探題として地方に居住し、功績を上げた今川了俊は、中央の政変等によって、あっけなく多くの領土(守護職)を失いました。

ところが、1467年に応仁の乱が起こり、室町幕府の統制力が弱まり、
更に将軍家の足利義政が、1475年に、「諸国 御沙汰 毎事力法量」≒「諸国の領有を定めるのは、各々の武力である」と統制を事実上放棄した為、
将軍・管領の任免権は、ほぼ無力化されてしまいました。

となると、自領を守るのは、幕府の権威ではなく、自身の武力となり、
重要となったのは、当然ながら、
在京が有利な「守護職」の獲得ではなく、
「在京免除」が有利な、地元の国人衆との繋がりや支持獲得による徴兵力となったのです。

そうなると、在京しており、地元の国人衆から顔も知られていないような在京義務のあった「守護」等は、圧倒的に不利だったのです。
国人達は、在京して見たこともないような守護ではなく、地元にいる守護代・小守護代・有力国人等の元で纏まったからです。

ですので、おっしゃる通り、在京義務を免除され、地元に居た勢力の方が、圧倒的に有利でした。

ですから、これもおっしゃる通りで、一部を除いて在京義務があった室町二十一屋形のほとんど、
つまり斯波、山名、一色、赤松、京極、富樫、土岐、若狹武田、安芸武田等が没落したのです。

彼らの中で比較的遅くまで生き残ったのは、
領国が京都に近い為に在京の弊害が少なかった畠山、六角、細川、
そして「在京義務」のなかった都鄙境目分国守護の今川、大内です。

また、同じく在京義務のなかった
九州の大友、島津、
在倉制はあったものの、早々に有名無実化した鎌倉公方所管の、武田、佐竹、宇都宮も、
比較的長く存続しました。

一般的には、宇都宮、佐竹、今川、武田、六角、大内、大友、島津らは守護大名出自の戦国大名といわれます。

もちろん、在京義務がなくても、(能力不足か?)戦国大名になれなかった者もいるのですが、
上記は全て、在京義務の弊害が少なかった ≒ 地元と密着できた守護出身の大名です。

「在京義務なし」
・今川、大内、大友、島津
「事実上在京(倉)義務消失」
・宇都宮、佐竹、武田
「領土と京が隣接」
・六角

以上から、質問者様のおっしゃる通り、
守護大名から戦国大名になる条件として「在京の免除」は大きかったと考えます。

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