日本史に詳しい方に質問です。有名な「腰越状」は、源頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを許されなかった源義経が、兄に宛てて心情を綴った手紙だとされています。私は義経本人による文章だと思っていましたが、知人が、腰越状の真偽は不明だと言っていました。このことについて、ご意見を聞かせて下さい。よろしくお願いします。

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1088579

2026-07-15 21:15

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他のいくつかの史料では、義経はいったん鎌倉の館で頼朝と会ってから京へ戻ったと記録されています。

ですから、そもそも腰越に留め置かれ対面を許さなかったとする『吾妻鏡』の記述自体が史実ではないでしょう。



また、その『吾妻鏡』でも、義経が腰越にいたと記されているのは5/24のみ。

その前後の5/15や6/9には30kmほど西の酒匂にいたとあり、それについては史実であり、この間に何とか「腰越状」伝説を無理矢理挿入するために編集された形跡であると考えられます。

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