分野を問わず、いわゆる芸術になるほど「手法とか技法」の用い方が作品制作の主体になり、それに対して大衆娯楽は「描くもの」が主体になる感じじゃないですか? ⠀ ⠀大衆娯楽の映画でも何でも、制作者のインタビューなどを見ると、「~がテーマの作品をつくってみたかったんだ」とかよくいってると思います。「描くもの」が創作の主体である感じです。それに対して文学でもクラシックでも、いわゆる芸術の分野では、「描くもの」は実際の表現の技法が駆使される、なんというか、きっかけや媒介?みたいなものに過ぎず、どう表現されているかが作品の妙・魅力の本体であって、そしてその表現の直接的な手段である、手法や技法が注目される感じです。実際に芸術の分野の賞だとか、○○史などを読んでも、~という手法を発明して~することに成功した、とか評価の基準とか語られ方がそんなのばかりです。とすると大衆娯楽の「~を描きたい」というあり方は、「どう描くか」という技法の部分は、既存のスタイル・手段を疑いなく当たり前のように踏襲して、「次は何の作品をつくろうか」とやっているような世界なのかもと思いました。この考えについてどう思いますか?