その出来事をどう言葉にしていいのか、途中で立ち止まってしまいますよね。
前向きに捉えようとした分だけ、「これは何なんだろう」と揺れる感じもあったと思います。
厄年の「お産で厄落としになる」という考え方は、もともと「大きな出来事を通して区切りが生まれる」という意味合いで語られることが多いものです。
なので、形がどうであれ、体と心にとって大きな変化や出来事があったとき、それが一つの節目として働く、そういう見方もあります。
流産や手術は、決して軽く扱えるものではなくて、体も心も確かに大きく動いた出来事です。
「お産と呼べるのか」というところに引っかかるのは、とても自然なことだと思います。
一般的な言葉の定義とは別に、自分の中でどう感じているかのほうが、実は深く残ることがあります。
その時間の中で、確かに存在していたものや、感じていたことがあったのは事実で、その重さは形だけでは測れないものです。
厄を落としたかどうか、というよりも、その出来事をどう受け取っているかのほうが、今の感覚に近い位置にあるように見えます。
無理にひとつの意味にまとめなくても、そのまま揺れていていいものでもあります。
その子のことをどう感じているのか、そのとき胸に残った感覚が、まだ静かにそこにあるのかもしれませんね……。
和みナビ☆