上座部仏教の方のみに質問です。サンユッタ.ニカーヤにヴァッカリの自死の話があります。ここで煙のようなものが出て、東西南北上下に動き回ります。ブッダは「修行僧たちよ、これはパーピマントである。ヴァッカリの、家の息子の識を探し求めているのだ。どこにヴァッカリの、家の息子の識はしっかり止まったのか、と。しかし、修行僧たちよ、識が(どこにも)しっかりとどまることもなく、ヴァッカリは、家の息子はパリニッバーナしたのだ」とあります。ここでいう「家の息子」とはどういう意味でしょう。ブッダの弟子、サンガの仲間、という意味でしょうか。また、「ヴァッカリの、家の息子の識を探し求めているのだ」という識は結生識のことでしょうか。(五蘊の識では理屈に合わないので)よろしくお教えください。(大乗の方はご遠慮ください。阿頼耶識が.........というようなお答えもいりませんので)

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1200749

2026-03-10 05:35

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良家の息子とか、善男子と訳されるようですね。



他家の子息を褒める時に使う言葉だと私は思っていました。



だから、極端な例としては、奴隷の身分の生まれであっても、良家の息子と紹介すると。



また、釈迦の教えを理解できる素質を持って生まれたということを、喜ぶべきことだという趣旨で、良家の息子と言うのだろうと。



「識」については、識が母胎に入るという釈迦の教えから、それを不滅の実体だと理解した弟子を、釈迦が叱責する経典がありますよね。愚か者よ、そうではない、識も縁によるのだと。(中部38 大愛尽経)



それから、スッタ・二パータでは、バラモンからの質問に対して、



>1074

師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(存在するものとしては)数えられないのである。」



1075

「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」



1076

師は答えた、

「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」



と答えていますよね。



今回のヴァッカリのことも同趣旨だと思います。



そして、その識は、縁によるもの、すなわち十二縁起の識で、それは輪廻における結生識の意味ということになると思います。



ちなみに、佐々木閑氏は、生まれ変わりの心、と意訳してました。



https://youtu.be/bz8CFrYX_io?si=vtbHbRYkixUdAUFt

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