良家の息子とか、善男子と訳されるようですね。
他家の子息を褒める時に使う言葉だと私は思っていました。
だから、極端な例としては、奴隷の身分の生まれであっても、良家の息子と紹介すると。
また、釈迦の教えを理解できる素質を持って生まれたということを、喜ぶべきことだという趣旨で、良家の息子と言うのだろうと。
「識」については、識が母胎に入るという釈迦の教えから、それを不滅の実体だと理解した弟子を、釈迦が叱責する経典がありますよね。愚か者よ、そうではない、識も縁によるのだと。(中部38 大愛尽経)
それから、スッタ・二パータでは、バラモンからの質問に対して、
>1074
師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(存在するものとしては)数えられないのである。」
1075
「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」
1076
師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
と答えていますよね。
今回のヴァッカリのことも同趣旨だと思います。
そして、その識は、縁によるもの、すなわち十二縁起の識で、それは輪廻における結生識の意味ということになると思います。
ちなみに、佐々木閑氏は、生まれ変わりの心、と意訳してました。
https://youtu.be/bz8CFrYX_io?si=vtbHbRYkixUdAUFt