スピリチュアリズムの話ですが、カルマの法則をどう捉えるべきでしょうか。たとえば明らかに普通ではない家庭環境に生まれたり、普通の人は体験しないような人生の体験があったとします。スピリチュアリストは、こういうことに対して、過去世においてカルマの摂理を犯したことの結果だと受け止めます。ですから現世的に見た時に、明らかに親や加害者に非があったとしても、それは過去世の行いの結果なのだから、ある意味で嘆く資格などないのです。シルバーバーチは大霊の摂理が完全に公正であると自分自身分かったといってるしE.ケイシーなどは、あなたの今の人生の状況というのは、あなたにもっとも相応しい状況なのだ、という趣旨の発言もしています。それくらい我々の運命というものは、理不尽どころか公正極まりないものみたいですしかしその一方で私が思うことは、現世には現世のロジックというものがあるのではないかと思うのです。いくらカルマのせいとはいっても、たとえば自分のお金を勝手に盗んでいく親、自分のことを一方的にボコボコに殴ってきた友人…というのは、本人の自由意志によってそうしてきたわけです。それに対して怒りを感じることは、現世としてのロジック、自分という個霊としてのロジックとしては当然だと思いますそして実際に、そのような親とか友人に対してはカルマの法が働いて、今度は彼らが来世においてカルマを返すことになるのでしょうシルバーバーチも、たとえば死の床で神に懺悔すればそれで許される教義に対してそんなものはふざけていて公正さの欠片もないお笑い草ですといっています。つまり何がいいたいかというと、自分の苦難の運命は、本来は嘆く資格なんてない自業自得のもの、という受け止め方がある一方で、しかし現世における個霊である自分を害した人たちには実際にカルマの法が働くわけであって、その意味で害されたことに対する怒りを感じるのも間違っていないのではないか、そのような複雑な思いがあります。みなさんはどう思いますか?

1件の回答

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1251671

2026-05-29 14:50

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全てがカルマではない、と思います。

たとえばですが
接している関係の方々が自分よりもまだ未熟な状態の場合、こちらの状況や心情などを理解することができずに
失礼な言葉を吐いたり、すっとんきょうな事をアドバイスしたりもします。(不快な思いをさせても気付かない)
暴力などでストレスを現したりなども、
その人がまだ未熟なためにうまく生きられず八つ当たりしたりしている場合が多いです。

そう言った場面に合った時に、おかしいよと伝えたりスルーしたりその場から離れたりなどどう対応するのかなどは選択する権利がありますよね。
カルマではなくそんな勉強をしていたりすることもあります。


幼少期の頃はあまり自由にできないので
家族や生まれた環境は選べず逃げられず理不尽な思いをすることも多いと思います。
それは親世代の魂が未熟だったり歪んだ社会の価値観に染まってしまっていることもあります。
今は子供みたいな大人が多いので、なおさら苦しい思いをしている子供たちも多いですね。
なぜその環境に生まれたのか?は、それはカルマのみの影響でもなくて、
色々な理由があるのだと思います。

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