当主の兄が亡くなった場合、甥の保護は叔父の責任になるのが普通なので秀頼後見が秀長、実質の養育係はそれなりの年齢なら秀長息子になるのが自然だと思う。
ただ秀吉の死が史実通りなら中国朝鮮と戦の最中の死なので秀長は早期撤退をやりとげ国内融和など問題山積のため秀頼の成人まで豊臣当主代行と関白職を引き継ぎ、海外からの侵攻や豊臣家臣内の争いがおきても秀長が解決し当面は家康の介入はない。
ただ秀長の息子と言われる羽柴与一郎が戦死していなければこの頃には立派な戦国武将で秀次や小出など一門をまとめ朝鮮の戦では確実に総大将やってるから武断派のトップとして帰国した途端に文治派や父親と大揉めしそう。
それ以上は秀長がどれだけ長生きできたかによるけどこの関係性では双方徹底的に敵対するようにはならず秀長息子に野心があったとしても秀頼は関白位、秀長一族は実質豊臣トップとなるなど割と役割分担し上手くやっていけると思う。