仏教徒にとって「自分の言ったことに責任を持つ」ことは、五戒の一つである 「嘘をつかない」 を守ることと深く結びついています。
嘘をついてはならない。
生き物を故意に殺してはならない。
他人のものを盗んではならない。
不道徳な性行為を行ってはならない。
酒類を飲んで心を乱してはならない。
これらは、仏教徒が守るべきものですが、
一方で 諸行無常 は「守るべき規則」ではなく、仏教の真理そのものです。
五戒を守るかどうかに関係なく、諸行無常は変わらない。
仏教徒は、この無常の世界から抜け出し、無常が止む境地である 悟り(涅槃) を目指します。
*上文の詳細*
嘘をつくことは五戒を破る行為であり、仏教徒が目指す 悟り(涅槃)から遠ざかる と考えられる。
「自分の言ったことに責任を持て」
「仏教的」には、というか「仏教徒」にとっては、他の回答者も示しているとおり、自分の言った言葉には責任が付きまとうと思います。
僧侶でない在家の「仏教徒」は、五戒という五つの決まりごとを守る必要があります。
嘘をつくということは、「世間的」には「責任を持たない」ということであり、「仏教徒」的には、五戒を破ることになり、五戒を破ると「仏教徒」の目標である「悟り(涅槃)」から遠ざかるからです。
また、世間的にも自分の言ったことに責任を持たない嘘が許されるのであれば、極端な話で言うと「世間で詐欺が許される」ことになります。
五戒はあくまでも仏教徒にとっての五戒ですが、世間的にも当たり前の道徳である、殺人はだめ、盗みはだめも含まれています。
世間的にも、嘘、殺人、盗みが蔓延るととんでもない社会になってしまいます。
諸行無常は、「仏教徒」が守るべき事柄でななく、仏教徒にとっての真理です。
すなわち、五戒を守ろうと守らなくても、諸行無常に影響はないのです。
諸行無常の世の中、すなわち苦の世界から抜け出し諸行無常がストップする「悟(涅槃(nibbāna)」が仏教徒の究極的な目標であるため、世は諸行無常でいいのです。