既出ですが、米国は、琉球が独立していた時代のあったことを知っており、独立した保護領にする意向もありました。奄美群島ですら、琉球列島の一角とみなし、1952年の講和条約発効後、一時期は奄美を米軍の施政権下におきました。
沖縄は、太平洋戦争末期に米軍が奪い取った土地であり、沖縄本島や伊江島には中国大陸・朝鮮半島はじめベトナムまで東アジア一帯を軍事的に支配できるよう、強大な航空基地とその後背施設が設置されていました。
対米講和条約の事前交渉の時(1950年)は、おりしも朝鮮戦争が勃発し(6月)、本土と並んで沖縄は国連軍の巨大な補給基地となっており、B29が使用できる嘉手納飛行場のある地を、返すわけがないのです。
でも沖縄の人たちからの「祖国復帰運動」が激しく、いつまでも保護領にしておくわけにはいかない、と悟っていました。
当時、日本の与党政治家と米国国務省との会話では、米国は日本に「沖縄の潜在主権がある」、とたびたび口にしていました。(デスク日記、小和田次郎)
また、サンフランシスコ講和条約に調印しなかったソ連に鳩山一郎政権が接近して、北方領土を「歯舞色丹の返還」で妥協しないよう、こういっています。(ダレス国務長官、ラスク副長官)
「日本が、国後・択捉の二島をも返還するよう要求し続けないと、沖縄は返還しないぞ」