鎌倉幕府が滅亡した理由は楠木正成攻略に手間取りとうとうできなかったので、となりますか。

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1161834

2026-06-12 06:40

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鎌倉幕府は約20年ごとに戦闘を交えた政変の起こる不安定な幕府でした。そして、北条得宗家は勝ち続けました。宮廷内の政変ではなく戦って勝ち、敵の領地を奪い続けました。権力を高めていきました。

それでも、中期までは御家人たちに好評だったのは、北条泰時の御成敗式目のように、公人としての公平性に努め、奢ることなく、責任感を持って政治を進めたからです。ちなみに、講談社学術文庫で最も高く評価されているのは、源頼朝でも徳川家康でもなく、断トツに北条泰時なんです。

北条時宗は、自身に権力と富を集めましたが、元帝国と戦うために必要なことと、世は納得していました。元帝国から日本を守るための権力集中という大義がありました。

しかし、その後に緩み始めます。執権の得宗による専制に大義がなく、しかも、実権は北条氏そのものではなく、その家人に握られていきます。



足利尊氏は通婚によってほぼ北条氏一族。新田氏もそれに近い立場。河内の北条氏の荘園の地頭代に「楠木」という名が記録されています。おそらく楠木正成の父かおじ。

こういう北条氏の家人たちにすら、権力や利益から外されていったのです。

楠木正成の反乱と同時期に、新田義貞は高額の寄付を強要されて反乱に立ち上がっています。



要するに、後の建武の新政と同じことを北条得宗家がおこなっていたのです。

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