鎌倉幕府は約20年ごとに戦闘を交えた政変の起こる不安定な幕府でした。そして、北条得宗家は勝ち続けました。宮廷内の政変ではなく戦って勝ち、敵の領地を奪い続けました。権力を高めていきました。
それでも、中期までは御家人たちに好評だったのは、北条泰時の御成敗式目のように、公人としての公平性に努め、奢ることなく、責任感を持って政治を進めたからです。ちなみに、講談社学術文庫で最も高く評価されているのは、源頼朝でも徳川家康でもなく、断トツに北条泰時なんです。
北条時宗は、自身に権力と富を集めましたが、元帝国と戦うために必要なことと、世は納得していました。元帝国から日本を守るための権力集中という大義がありました。
しかし、その後に緩み始めます。執権の得宗による専制に大義がなく、しかも、実権は北条氏そのものではなく、その家人に握られていきます。
足利尊氏は通婚によってほぼ北条氏一族。新田氏もそれに近い立場。河内の北条氏の荘園の地頭代に「楠木」という名が記録されています。おそらく楠木正成の父かおじ。
こういう北条氏の家人たちにすら、権力や利益から外されていったのです。
楠木正成の反乱と同時期に、新田義貞は高額の寄付を強要されて反乱に立ち上がっています。
要するに、後の建武の新政と同じことを北条得宗家がおこなっていたのです。