ちょっとした日常の会話を聞いていて、ふと引っかかることがあります。大した出来事ではありませんし、誰かの発言を真剣に取り上げるほどの話でもありません。その場では笑って流してしまうような、ごくありふれたやり取りです。ただ、そういう何でもない場面ほど、後になって妙に記憶に残ることがあります。なぜ引っかかったのかも、その時点でははっきりせず、「まあ、いいか」と思ってやり過ごす。ところが、似たような場面に何度か出くわすうちに、少しずつ違和感だけが積み重なっていくのです。特別な事件があったわけでもなく、誰かと口論したわけでもありません。ただ、聞こえてきた言葉や、その場の雰囲気が、なぜか頭の片隅に残り続けている。そんな感じです。それで、どうも最近、「美味しい」も「可愛い」もテレビの中にある様に思えて仕方ありません(笑)なので、女の子が「オシャレでヘルシーな店に行こう!」なんて言います。でも、逆もあって「ヤベ、これ、バカウメ〜!」なんて言う女の子もいるそうです(笑)知恵袋で「こんな子ホントにいると思いますか?」と誰かが質問してたので「それ人間ですか?」と逆質問してしまいました(笑)カラスだって、もっとわきまえてますからね!「ヤベ〜」とか「ウメ〜」とか言わず、お行儀よく待ってますからね!お行儀のいい子の方がずっと可愛いですよ(笑)ハダカデバネズミにニンジンをやって、バカウメ〜の子には残飯を与える、これが筋じゃないか?と思えて来ますよ。そこで質問ですが、私たちは本当に「自分の舌」や「自分の感覚」で、美味しいとか、可愛いとか、オシャレだとかを判断しているのでしょうか。気づけば、テレビやSNSが「これはヘルシー」「これは映える」「これは正解」と先に答えを用意してくれていて、私たちはそれをなぞるように「うんうん、確かに美味しい」「たしかに可愛い」と頷いているだけ、ということはないでしょうか。もちろん、それが全部ダメだと言いたいわけではありません。誰かのおすすめで新しいものに出会うのも楽しいですし、共通の言葉があるから会話が成り立つ、という面もあります。ただ一方で、「これは本当に自分が美味しいと思っているのか?」「それとも、そう言うのが無難だから言っているだけなのか?」と、一度立ち止まってみる余地もある気がするのです。黙って味わう人がいてもいいし、大げさに叫ばなくても、心の中で「お、悪くないな」と思っていればそれで十分なのかもしれません。そう考えると、私たちが試されているのは味覚やセンスというより、「自分で感じているつもりになっていないか」その一点なのではないでしょうか?๑๒/๒๔