最近ネットで豊臣秀吉を「再評価」するというか、もっというと本当は素晴らしい人だったんだという評価をよく目にします。さらに言えば、ある意図をもって不当に貶められていただけであり、そのことに気づいて再評価している自分たちだけがぼんくらと違って真実が見えているのだ、というような感じの論調です。秀吉は実はヨーロッパ(イエズス会)による奴隷貿易から日本人を救った偉大な人物なのだとか、秀吉が朝鮮に出兵していなければ日本は植民地にされていたのだとか、そういう方向性での「非難されるような人ではないのだ!」という見方です。個人的には、なんか気持ち悪いなあと思って見ているんですけど、それって、どういう背景とか文脈とかでそういことになっているものなのでしょうか?そして、そういう彼らによる「再評価」をどう評価されますか?

1件の回答

回答を書く

1083232

2026-01-16 10:05

+ フォロー

豊臣秀吉(あと織田信長も)は、あまりにもキャラクター化され過ぎている、と私は思っています。



秀吉は日本一の出世男としてサラリーマンの鑑と見なされ、小説や大河ドラマなどのエンタメ作品で、上司のぞうりを懐で温める、幇間のような振る舞いをする、などの奇策やごますりで信長に認められた、というイメージが一般的になってしまっていました。

そんな陽気で憎めない愛されキャラが定着してしまったために、兵糧攻めや利休秀次切腹などを挙げて「本当の秀吉はこんなクズだったんだぜ」、という(歴史好きなら普通に知っている)実像を、クローズアップして強調されている、と感じます。むごたらしい所業は、人気の高い武田信玄や前田利家など、多くの戦国武将がやっていることなんですけどね。



後世に創られたキャラクター化によって、その反動で過剰に実像を貶められることは、歴史上の人物に対して失礼ではないか、と私は思っています。



信長なり秀吉なりは為政者なので、良い人悪い人の評価をつけるのはナンセンスです。その行いが未来から見たら間違っているとしても、当時はそれをするだけの理由や意義があった、と思うべきでしょう。



質問にある、「朝鮮出兵は奴隷解放だった、秀吉はすばらしいことをしたのだ」、という見方は何の意味もありません。

近代の戦争での大陸侵攻だって、「朝鮮や中国にいる自国民の保護」を目的として始めています。だから、ただの口実です。いつの時代も「家臣に働き場を与える」、「資源を確保する」などの実利を求めてやっていることを、表では大層な名目を掲げて始めるものです

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

関連質問

Copyright © 2026 AQ188.com All Rights Reserved.

博識 著作権所有