日本史です。鎌倉時代で1185年に守護地頭を置いてますよね。でも、室町の時に、半済令を与えて、守護大名になった。とありますが、なぜ、守護の力が強いのか、どうして、地頭じゃなくて、守護が土地の管理をしているのか。頭がこんがらがってきたので教えてください。地頭が国人になったのはあってますか?なぜ地頭と守護が対立しているのかとかもよく分からないんでお願いします

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1165009

2026-04-02 19:05

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こんばんは



1. なぜ地頭ではなく守護の力が強くなったのか?

もともと鎌倉時代の役割は、守護=軍・警察、地頭=土地の管理・徴税とはっきり分かれていました。

しかし、以下の理由で守護が力を強めていきました。

①戦争の常態化

南北朝時代の動乱期、足利尊氏ら幕府側は、味方の武士を増やすために守護に強い権限を与えました。

そのうちの1つが、1352年の観応の擾乱の際、軍費調達のために、その国の年貢の半分を兵糧として徴収する権限を守護に与える半済令です。

また、本来は朝廷や幕府の仕事だった国全体の徴税を守護が請け負うようになり、土地への支配力が強まりました。

こうして、ただの軍人だった守護が、経済権限も手に入れて守護大名へと進化しました。



2. どうして守護が土地を管理しているのか?

本来、土地を直接管理していたのは地頭ですが、守護は守護請というシステムを利用しました。

これは、地頭や荘園領主が納めるべき年貢を、守護がまとめて一括で請け負う仕組みです。

これにより、守護がその国の土地の実質的な支配権を握ることになりました。



3. 地頭が国人になったのは合っていますか?

はい、合っています。

鎌倉時代の地頭たちは、その土地に根付いた土着の武士となりました。

彼らは室町時代になると、自分たちの領地を守るために地域で団結し、国人と呼ばれるようになります。



4. なぜ地頭(国人)と守護が対立しているのか?

自分の土地を自分で支配したい国人 vs 国全体を支配したい守護の対立という構図です。

・国人の立場

もともとここは俺たちが地頭として守ってきた土地だ。守護大名に年貢を横取りするな。

・守護の立場

幕府からこの国の支配を任されている。国人たちは自分の家来被官になればいい。

この対立が激化し、やがて守護の力をしのぐ戦国大名が生まれたり、国人たちが国一揆を起こしたりする流れに繋がっていきました。



とい流れです。

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