武田が今川と同盟破棄したとき北条と駿河の分割統治の密約を結んでいたが武田が単独で攻めたから北条は今川方についた本当でしょうか

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1270010

2026-02-11 07:40

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概ね正しい理解です。永禄10年(1567年)頃、武田信玄は北条氏康と駿河分割の密約を結びました。しかし永禄11年(1568年)12月、武田信玄は約束を破って単独で駿河に侵攻し、今川氏真を追放しました。・北条氏康は武田の裏切り行為に激怒し、今川氏真を保護しました。・その後、北条氏は今川方として武田氏と敵対関係となり、薩埵峠の戦いなどで武田軍と交戦しました。・この事態を受けて北条氏は上杉謙信と越相同盟を結び、武田包囲網を形成しました。武田信玄の単独行動が甲相同盟の破綻を招き、戦国時代後期の勢力図を大きく変える結果となりました。

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