件の台詞の前に「禁欲の果てにたどり着く境地などたかがしれたもの」とも断じており、禁欲するくらいなら欲に忠実になれという指摘でしょう。煩悩に囚われれば弱くなることもありますが、禁欲も我慢しているという意味では煩悩に囚われていると言えそうです。基本的に禁欲というのは試合や目標体重などのゴールがあるから取り組めることであり、ゴールがなければ欲を捨てるしかないでしょう。ストライダムによれば勇次郎の強さの根源はそのエゴイズムにあるとのことなので、欲を捨てるという選択肢は彼には無さそうです。となるとゴールを定めた禁欲となりますが、そういう我慢の果ての刹那的な強さではなく、欲を満たした上でのベースとなる強さを求めているのかと思います。
また、勇次郎が科学的なことを否定するのは珍しくありません。グラップラーの時は江美が刃牙に最高のコーチをつけ最高のトレーニングをさせたと言ったのを女が考えそうなことだと一蹴しています。後の郭海皇とのバトルでも技術の最高峰として描かれた消力を真似しながら否定して、「闘争とは力の解放だ。力みなくして解放のカタルシスはありえない」と断言しています。ジャックのドーピングも特に否定しておらず、強くなるための努力にタブーを設けている様子もありません。