情報を受け取るときの価値基準というものについてわりと哲学的に考えました。一つの情報にどういう価値を置くかというのは、その人自身の価値観の有り様がベースにはあると思うからです。あくまで私自身の価値観の有り様なので、みなさんがどう思われるのかは分かりません。ただ、どう思われたかを聴きたいのでお願いします。https://ameblo.jp/bainiaohirokazu/entry-12951386692.html

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1115727

2026-01-19 13:25

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それについて書いてるのが養老孟司の

「バカの壁」

です。



養老孟司は東京大学医学部の教授ですが、医学部の学生に講義で、出産のビデオを見せたら、男子学生と女子学生では明らかに反応が違う、見る態度や姿勢が違うというのです。



男子学生にとって、出産は最終的には他人事ですが、女子学生の多くにとっては他人事ではないので、見る姿勢や態度が決定的に異なってくるというわけです。



病気でいえば男子にとっては乳がんは他人事であり、女性にとって痛風発作は他人事です。女性で痛風発作になる人は少ないからです。



自分にとって他人事であるか、他人事でないか、自分が当事者になりうるか、そうではないかで情報の意味は大きく異なります。



ツキワグマが人を殺した話は、岩手県や秋田県では身近な話ですが、九州や千葉県ではまったくの他人事なわけです。



アメリカの黒人差別の話は、日本人にとってはしょせん他人事ですが、中国や韓国の反日は日本人にとって他人事ではありません。すぐに自分が当事者になり得る話なわけです。



当事者になりえない人が他人事に関心を持てないのは、ある意味仕方がない部分がありますが、そういうのは自分自身にもいろいろあるわけです。

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