近頃の靖国神社や特攻隊の問題に対して、「参拝しない者は日本人ではない」、「靖国「否定する者は出て行け」と主張する者に私が思うことです。意見をお願いします。彼らは、死者への尊びや感謝を声高に叫ぶ。 しかしその振る舞いを見ていると、 そこに本当の尊びがあるようには見えない。 なぜなら、死者は一人ひとりの生や死としてではなく、忠誠を測り、異論を排除するための手段として使われているからだ。参拝するかしないか。感謝を表明するかしないか。 その行為は、死者に向けられるのではなく、 生きている人間を分類するために機能している。ここで起きているのは追悼ではなく規格化にすぎない。何を感じるべきか。どう振る舞うべきか。何が「正しい日本人」か。それを決めるために、死者が権力装置の部品として消費されている。 誰かが敬意を感じたことと、 敬意を同じ形で示さない他者を 「日本人ではない」「出ていけ」と処理することのあいだに、論理的な必然性はない。尊びは内面の感情ではなく、守るべき規範に変換され、死者が生きている人間を分類し、忠誠を測る装置として使われている。 尊びを命令にした瞬間、それはもう尊びではない。それは、死者を使って生者を従わせるための管理の言葉だ。

1件の回答

回答を書く

1170434

2026-01-21 07:15

+ フォロー

靖国神社に参拝するもしないも自由だと思います。

それに対し何を言おうが言うまいが自由だと思います。



それで、質問は何ですか?



知恵袋は質問者が質問するのが基本的ルールですよ。

それに対し回答者が回答します。

うったえる有益だ(0シェアするブックマークする

Copyright © 2026 AQ188.com All Rights Reserved.

博識 著作権所有