「寄付の必要は理解するけれど、裏方で受ければいい。神の社なのだから場の品位を守ってほしい」ということですね。
これは景観や雰囲気を守りたい、という正当な感じ方だと思います。
ここで冷静に整理すべきは、「あの企業名の表示は “広告” なのか、それとも “奉納の証” なのか」ということだと思います。
もし実質的に宣伝のために目立つ形で出しているなら、貴方の違和感はかなり決定的なものだと言えます。
しかし、あくまで奉納の慣習として維持や修繕のための寄進を可視化しているだけという位置づけなら、「みっともない」と断じるかどうかは線引きの好みの問題となります。
神社は “清らかな世界だけで完結している場所” というより、地域や人の生活の中で維持されてきた場所でもあります。
奉納物に名前が刻まれるのは、企業であれ個人であれ、「見返りの広告」というより「捧げた責任と記憶を残す」意味合いで行われてきた面があります。
もちろん、それが参道の破壊だと感じるほどのものなら、批判もまた成り立つでしょう。
ただし「名前がある=不敬」と決め切ってしまうと、「維持の現実」と「奉納を “公にする” 」という古い作法の両方を一括で切り捨てることにもなりかねません。
貴方の感覚は大事にすべきものだと思います。
違和感を抱いたこと自体は場の品位を真剣に受け取っている証拠ですし、その感性は軽く扱われるべきではないと感じます。
そこで同時に、「寄付の可視化が何を意味しているのか」を一段だけ分けて見ると、感じ方が少し整理されるかもしれません。