【古美 骨董】穴窯(単室)や穴窯を大きくした大窯(単室)で焼かれた、火まかせで炎が直接製品に当たる原始的な焼き上がりなのが平安時代~室町中期までの備前壺です。しかしながら、備前壺に現れる窯変や景色の豊かさといえばその後の江戸時代以降の登り窯(複連室)で焼かれた備前壺の方がよっぽど豊かな焼き上がりになっている。窯の構造から考えられる理由を教えてください。古美術 骨董の話です。無釉薬、焼き締め陶である備前焼に景色は少ない。備前焼の景色として胡麻垂れ(ごま)、牡丹餅(ぼたもち),ひだすき、桟切(さんぎり)などがあるが、発生比率がきわめて少なかった。鎌倉時代、室町時代の作陶に発生するのはまれで、多くは江戸時代になり茶陶に取り上げられ、注文制作が行われるようになってからだ。今日、景色の素晴らしい多くの作品は江戸期代後期に導入された「登り窯(複連室)」を使って再生されたものである。そう考えると、備前焼の黄金時代は江戸時代後期の古備前写しの流行期であったといえるのかもしれない。江戸時代後期に「登り窯(複連室)」が導入されるまで、平安時代~室町時代中期までは火まかせで炎が直接作品に当たる原始的な焼き上がり(灰かぶり、ビードロ、窯変)の「穴窯(単室)」や、穴窯を大きくした室町時代後期~江戸時代中期の「大窯(単室)」で焼成されていた。それにしても平安時代~室町中期までの備前焼は寂しくなるくらい無表情なのである。

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1233029

2026-01-04 01:15

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備前焼の黄金時代というのは桃山時代です。
それまでは雑器の壺や摺鉢など日用品の生産ばかりしてまして種壺や水器の見立てはわかりませんが茶陶として注文品で作られたのは利休の注文で作られた時代は室町末期くらいかと思いますが小さな桶型の水指で銘は
破れ桶という水指が作られて以降に織部と遠州の時代にすでに完成された物をその後ずっと写して作られてます。窯はどんなタイプの物でも注文品の場合は他の雑器とは予算がまるで違う為に最高の焼き上がりと景色になるように窯の位置に置いて作られてます。土も表題の畠山即翁の火襷水指のような火襷が美しく出るように白土を使用したり物の作り方がよくある雑器の壺や甕と茶陶はまるで違います。桃山時代の茶陶と幕末の茶陶ではその精神性と物自体の空気感や質感が違います。その違いを明確にわかりたいのでしたら桃山茶陶の本物を実際に手に取る事が質感の違いを理解するには1番早いです。

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