江戸時代、琉球王国の国王は参勤交代したことはあったのでしょうか???他の大名たちと同等に処遇されていたのでしょうか???明治以降は琉球国王は東京住まいを許されたと伺っておりますが江戸時代はどのような扱いを幕府から受けていたのでしょうか???

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1262449

2026-06-28 17:25

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参勤交代はしませんでした。

こんな記述があります。



1609年 薩摩侵攻: 島津氏が琉球に侵攻し、国王・尚寧王が捕虜となって鹿児島、駿府(徳川家康)、江戸(徳川秀忠)へと連行された。



その後は徳川幕府への挨拶に使節団が送り込まれました。



江戸時代の琉球王国は、1609年の薩摩藩侵攻以降、薩摩の支配下に入りつつ清とも両属する形式をとりました。

国王交代時の「謝恩使」や将軍交代時の「慶賀使」として、王子を正使とする使節団を計18回江戸へ派遣しました。

この「江戸上り(えどのぼり)」は薩摩が主導し、中国風の装束で500人規模の行列が日本各地で人気がありました。



江戸上り(江戸立)

概要: 琉球国王が新将軍の就任(慶賀使)や、自らの国王就任(謝恩使)を伝えるために派遣する使節団。

期間・回数: 1634年から1850年までの約200年間で18回実施。

ルート: 首里を出発し、鹿児島を経由して薩摩藩の先導で江戸へ向かう、約1年がかりの長旅。

目的: 琉球が薩摩の傘下であることを幕府に示すと同時に、琉球が独自の文化を持つ「異国」であることをアピールし、中国との貿易(冊封)を維持すること。



1609年 薩摩侵攻: 島津氏が琉球に侵攻し、国王・尚寧王が捕虜となって鹿児島、駿府(徳川家康)、江戸(徳川秀忠)へと連行された。

二重支配(両属): 琉球は島津氏の付庸(従属)国でありながら、清への朝貢も続け、幕府はこれを黙認して貿易利益を薩摩が得る構造だった。

文化交流: 琉球使節のきらびやかな中国風の服装や行列、音楽は江戸や名古屋などで人気を博し、当時の浮世絵などに描かれた。

代表的な琉球国王

尚寧王(しょうねいおう): 1609年の侵攻時に国王。家康・秀忠に謁見した。

尚泰王(しょうたいおう): 幕末から明治にかけての最後の琉球国王。1872年に琉球藩王に封じられ、その後の琉球処分へつながる。



この使節団は、幕府にとっては「服属する異国の祝辞」として権威付けに利用され、琉球にとっては独自の「国格」を守る外交手段でした。

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