参勤交代はしませんでした。
こんな記述があります。
1609年 薩摩侵攻: 島津氏が琉球に侵攻し、国王・尚寧王が捕虜となって鹿児島、駿府(徳川家康)、江戸(徳川秀忠)へと連行された。
その後は徳川幕府への挨拶に使節団が送り込まれました。
江戸時代の琉球王国は、1609年の薩摩藩侵攻以降、薩摩の支配下に入りつつ清とも両属する形式をとりました。
国王交代時の「謝恩使」や将軍交代時の「慶賀使」として、王子を正使とする使節団を計18回江戸へ派遣しました。
この「江戸上り(えどのぼり)」は薩摩が主導し、中国風の装束で500人規模の行列が日本各地で人気がありました。
江戸上り(江戸立)
概要: 琉球国王が新将軍の就任(慶賀使)や、自らの国王就任(謝恩使)を伝えるために派遣する使節団。
期間・回数: 1634年から1850年までの約200年間で18回実施。
ルート: 首里を出発し、鹿児島を経由して薩摩藩の先導で江戸へ向かう、約1年がかりの長旅。
目的: 琉球が薩摩の傘下であることを幕府に示すと同時に、琉球が独自の文化を持つ「異国」であることをアピールし、中国との貿易(冊封)を維持すること。
1609年 薩摩侵攻: 島津氏が琉球に侵攻し、国王・尚寧王が捕虜となって鹿児島、駿府(徳川家康)、江戸(徳川秀忠)へと連行された。
二重支配(両属): 琉球は島津氏の付庸(従属)国でありながら、清への朝貢も続け、幕府はこれを黙認して貿易利益を薩摩が得る構造だった。
文化交流: 琉球使節のきらびやかな中国風の服装や行列、音楽は江戸や名古屋などで人気を博し、当時の浮世絵などに描かれた。
代表的な琉球国王
尚寧王(しょうねいおう): 1609年の侵攻時に国王。家康・秀忠に謁見した。
尚泰王(しょうたいおう): 幕末から明治にかけての最後の琉球国王。1872年に琉球藩王に封じられ、その後の琉球処分へつながる。
この使節団は、幕府にとっては「服属する異国の祝辞」として権威付けに利用され、琉球にとっては独自の「国格」を守る外交手段でした。