\u0026quot;Metaphors We Liby by\u0026quot;(Goerge Lakoff, Jark Johnson)という本が
あって、面白いことを書いてます。
(正確な引用ではありませんが)ケンカを比喩で例える。
例えば「あいつの基地を爆撃してやったぜ!」
あるいは「王手をかけてやったんだ!」
どちらも比喩に過ぎず、本当に爆撃もしてなければ、将棋も指してない
んですが、なんとなくそんな気になるんです(笑)
要するに、ある比喩を通すと、それがそれらしく感じられる!
「嘘とは慰めである」と
「嘘は泥棒と同じさ」では世界観が全く違って来ます(笑)
子沢山のフタホシコオロギを飼って、10万匹に増やす?
オスが半数の5万匹として、その半分が同時に鳴いたら、104とか107dBに
なる!これはホントです。
これは近所迷惑なんてもんじゃありません。
だから、必死でオスの羽をむしって、オスの数を100匹ぐらいに抑えないと
大変なことになります。
まず、この大変さを指して「(重)労働」と呼ぶことができそうです(笑)
次に、マルクスは「労働」という言葉でほぼ常に「社会的に有用な労働」
のことを言ってます。
この場合、騒音公害を抑えるという意味以外に、フタホシコオロギを
売って商売をしてるか、自分のペットに食べさせるのですから、
餌代を節約してる(コオロギを買わなくて済む)のです。
つまり「社会的に有用」となるんです(笑)
では、もしもオスの羽をむしらないで、2万匹ぐらいのコオロギが同時に
鳴いたら、どうなるでしょうか?
「近所迷惑」とか「騒音公害」という言葉が出て来ます。
しかし107dBでこう言えるでしょうか?
オーケストラが最大音量付近で何時間も演奏してるんですよ(笑)
確かに「騒音公害」ですが「殺人」に近くないでしょうか?
何をどんな言葉で呼ぶか?はいつも問題になりますが、
言葉が替わった時、そう認識してるのか、その交代劇に対処してるのか?
も問題になります。
例えば、どこの国とは言いませんが、「終戦」と「敗戦」。
「被爆」と「被曝」もかなり微妙。
さらに「いじめの重大事態」と「恐喝」。
いじめっ子がいじめられっ子に「明日は2万円持って来い!」と言うのは
単なる「いじめ」なんでしょうか?
「恐喝」と違うんでしょうか?
「言葉の響きに反応してるだけ」…
確かにそう言えそうです。
しかし、その「言葉」とは何のか?考える必要があります。
ここで言う「言葉」とは網膜上の「イメージ」に近いものです。
浅はかで、単純で、極端なイメージ!
「後ろから熊が追いかけて来た!」なんて、どうです?(笑)
「熊」と言ってますすが、ヒグマやツキノワグマをイメージしませんか?
アライグマや「森のくまさん」をイメージします?(笑)
要は、浅はかで、単純で、極端なイメージ vs 精密で立体的でリアルな
イメージ…
こんな構図になってないでしょうかね?
そして、気づかないうちにこの構図の違いからいろいろなことが生じる…
そうなってないでしょうかね?(笑)